人生の終わりはいつ来るのか

こんばんは。

コロナ感染者がどんどん増えていますが、私の子どもも感染し、濃厚接触者としてうちに籠っております!

その間、姉が差し入れを持ってきてくれるんですが、インターホンを鳴らして、ドアノブにかけてくれます。姉に会いたいけど、会えないなー、寂しいなーと思っています。

今日も姉がドアノブにかけてくれ、インターホンで話している最中に、「ごめん、電話かかってきちゃったから帰るね!」と行ってしまいました。寂しい…

でも、姉がうちには90歳になる義父と、86歳の義母が同居しています。2人とも認知症以外にも心臓や糖尿病を患っており、3年前に引き取った時から少しずつADLが落ちてきています。

特に義父が最近寝ている時間が増えてきて、食事以外は殆ど寝ている。(たまーに2日位ハイになって元に戻り、夜通し起きている時があるそうなのです。)食事量も減ってる。そして、そこにないものが見えてきたそうです。

お義父さんには、何が見えているのか。「人がいるぞ」と言われた時は姉は相当驚いたそうです。もちろんお義父さんが指し示すところには人なんていません。あとは「紅葉が見える」「猫がいるぞ」「犬がいる」など、お義父さんには見えるものがある様です。

「看取り」というのは

先日、定期の診察に行ったところ、「年齢も年齢だから、在宅診療に切り替えましょう」と言われたそうです。本人を目の前にして「お看取り」という言葉も出たそうで。(でも本人は聞いてても理解できてない様でした)

「あー、在宅診療に切り替えを勧められたかー」と、私は思いました。医師から見て、義父は長くないなのかな、と。在宅診療で往診してもらっていると、自宅で亡くなった時、警察が入らなくても良くなります。

看取りとは↓

https://www.tyojyu.or.jp/net/kenkou-tyoju/tyojyu-shakai/mitori.html

義父の人生の終末期がはじまったのかな…と、姉も薄々気付いていましたが、医師に言われると流石に重かった様です。

でも、私たちの両親は7年前と2年前に、母は70歳、父は79歳で亡くなっています。個人差はありますが、人が亡くなる前にはどんな状態になるか、少しは分かります。

母は病気が一気に進んであっという間に亡くなりましたが、父は少しずつ身体の機能が落ちてきて2ヶ月くらいの後に亡くなりました。まずは耳が、次に目が見えなくなってきて、食事も自分で摂れなくなり、持病が悪化して、高カロリーの飲料で栄養を摂っていましたが、それも負担になる様になって。

父は美味しいものを食べるのが何より好きな人だったので、「お父さんが食べなくなったら終わりだね」と笑い話で言っていたのですが、本当にその通りでした。「人間、口から食べられなくなったらそれが終わりなんだな」と思いましたし、自分もそれで終わりにしてほしいな、と思ったものです。

父の時は父自身に「どこまで延命するか」という事をヒヤリングしていたので、最期は父に意志を確認しました。これは、私が娘で、父と同居していたからこそ、毎日の生活の中で聴けた事でもあります。

姉は言います。「私は嫁だからねー」と。

私たち姉弟は40代で両親の介護が終わりましたが、義兄は50代でご両親は80代後半、義兄は50代。同居が始まって3年半。ご両親の心身の衰えは見ているものの、義兄達はやはりまだ心の準備が出来ていない様です。

嫁が「延命治療どうします?」とか「最期はうちかいい?」とは、聞きにくいですよねー。そこはお義兄さんがちゃんと聞いておいて欲しいところ。実際、今のご両親の状態では、認知症が進んだため理解が難しく、子どもたちが意思決定しないといけない現状です。

いつになっても、いくつになっても、「親が死ぬ」なんてことは、考えたくない事なんだなと思います。

しかし、直接的で主たる介護者は姉なので、いざと言う時にどうしたら良いか、困る事にならないと良いなと思います。

「食べられなくなったら点滴したら良いか」と義兄が言っていたそうですが、点滴をするとどんな状態になるか。胃瘻は?経鼻経管栄養は?では何も摂らないならどうなるのか?それを受け入れられるのか?

難しいし、直視したくないと思いますが、親が人生の最期をどの様に考えているか、ちゃんとお話しておく事をおすすめします。

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交通事故に遭ったら絶対にやってほしいこと〜3つ憶えて帰ってください!

2021年に発生した交通事故は約30万件。

負傷者は約36万件。

https://www.itarda.or.jp/situation_accidents

そのうちの一人が私でした。

しかし日本の人口が約1億2千万人。36万人はそのうちの0.3%に当たります。

そう考えると、宝くじで1等に当たるよりは高い確率ではありますが(宝くじは0.000001%)一生のうちに交通事故に遭う人は多くはないのかも知れません。

しかし、備えあれば憂いなし。

その少ない確率に当たった私ですが、その時に絶対やっておいて欲しいことを挙げてみたいと思います。

(被害者になった時に意識がある状態であることの場合、また周囲に人がいる場合になります。)

1.警察・救急車を呼ぶ!

「少し当たっただけだから」「今は痛くないから」等、時間がなかったり、相手を気遣ったりして、「警察や救急車を呼ぶほどではないから」と連絡せず、後から痛みが出てきたり、車両の故障がわかったりすることがあります。

絶対!呼んでください!自分で呼べなかったら、周りの人に呼んでもらってください!

警察が来れば、自分ができない状況にあったも、相手の連絡先もちゃんと確保してくれますし、周囲の方に状況を聞いて情報収集してくれます。

救急車ですが、今の状況で受け入れてくれる病院があるかどうか・・・という心配もありますが、事故直後の身体の状況をちゃんと画像に残しておくことが重要です!

救急車呼ぶなんて大袈裟だと思ったり、入院するほどの怪我でもないしと思ったとしても、ちゃんと病院に行ってください。

画像によって残しておくことによって、「事故による疾患」を証明することが出来ます。事故による疾患かどうか、それによって治療費の支払いの負担が変わってくることもあります。

被害者であるなら、相手方の保険会社が治療費諸々を負担することになりますが、あとでゴタゴタにならないように、ちゃんと病院に行きましょう!

2.痛みや不調があったら病院へ!

少し大袈裟かな〜と思っても、痛みや違和感があったなら、整形外科、脳外科、耳鼻科、神経内科など、総合病院で聞いてみて、面倒でも受診しておくのがベターです。

交通事故の怖いところは、その時痛くなくても、後から痛みや不調が出てくること。

私は足首とめまい、後頭部挫創の痛みに加え、車両と当たったと思われる左半身の痛みが次の日から出てきて、肋骨まで痛くて泣きました。加えて、捻挫と思われて「全治2週間」と診断されていた足首が、2週間経ってから骨折していたと分かり「全治4ヶ月」となりました。

あとは首が今でも左側が右側ほど回りませんし、リハビリをしても正座をすると痛みが出て短時間しか出来ません。今は肩から両腕にかけて痺れが走ることもあります。

不調が出たらちゃんと病院に行って検査してもらう。

仕事もあるのでなかなか行きづらいかも知れませんが、ここは大事なところです!

本当にざっとですが、一番しとかないといけないこと2つを挙げさせてもらいました。

●相手方の保険会社と過失割合や経費負担、通院する病院について合意形成する。経過を報告する。不明な点は聞いておく。

●仕事中の事故なら労災保険を使用することになるので、会社に報告する。休職するなら補償をどうするか相手方の保険会社と話し合ってもらう。

●自分や家族の保険で弁護士特約があるなら、できたら使ってやりとりしてもらう。

など細かいところはいろいろあります。

私の遭遇した事故は「昼間」「人通りの多い場所で」「相手方も逃げることなく」「意識があり」「スムースに搬送され」「比較的軽傷と診断された(実は重症だった)」という、幸運なケースだったのかも知れません。

相手の車にドライブレコーダーはつけてなかったですが、目撃者が多数いたこと、相手方が多分正直に事故の状況を話してくれたようで、警察でも大きな食い違いはなく、調書を作成できました。

交通事故に遭うと、書類などの手続きもいろいろとあって、本当〜に面倒です。こういうやりとりは消耗するので、私も二ヶ月近く経ってようやく元気になってから出来るようになりました。

「相手も自分も、あの一瞬注意していれば、こんな事にはならなかったのに」と何度思ったことでしょう。

でも起きてしまったことは仕方のないことです。

ここからどうやってこの事故車のようになった身体で生きていくか、立て直すのは自分しかいません。

もうひとつ、大事なこと。

3.自分を責めない。とにかく療養する。

事故に遭うと身体もつらいですし、メンタルがやられます。

「なんで私がこんな目に合わないといけないんだ。」「私が不注意だったから悪かったんだ、みんなに迷惑をかけてしまった」「これからこの身体が元のように治るのだろうか」「後遺症が残ってしまったらどうしよう」

もうあらゆるマイナス思考に襲われました。会社の仲間にどれだけ迷惑をかけているか。家族に負担をかけているか。

そう思うと、本当に「なんで私は事故になんて遭っちゃったんだろう」と思って泣けてきました。

でも会社側も同僚も「とにかく今は身体を治して!シフトも見ない!」と療養に専念させてくれました。

家族も「伊吹が悪いんじゃないよ、お互い様だから、元気になったらお願いね」と言って、いろいろな負担を負ってくれました。

私は恵まれているのかもしれない。

そんな風に思えたのは、体が元気になってきた頃なんですけどね。

そして、いつの頃からか「あ、今私は幸せだなあ」と感じる瞬間がたくさん出てきたのです。今も思います。「生きててよかったなあ」って。

とにかく、身体が痛い時はダメです。考えちゃ。

めっちゃメンタル落ちます。夜、いろいろ考えてしまいます。寝ましょう。寝て、治しましょう。食べて栄養摂って、リハビリ頑張って、眠って。

休めるのは今。人生の中でこんなに休む時はないです。とにかく休む。それに専念しましょう。

ざっくりですが、もしこの先、事故に遭ってしまったら、この3つは憶えておいてくださると、私も事故に遭った甲斐があるってなものです!

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親の内側が変わっていく〜認知症というもの

私は3人きょうだいの真ん中に生まれました。

姉弟は2学年ずつ離れています。2歳上の姉が歳を取ると、「私もそろそろだな」と感じてきたのですが、姉が50歳になり、あれよあれよという間に、私も50になろうとしています。

私たちの両親は、母が7年前に、父が2年前に亡くなりました。2015年と2020年は特別な年になりました。ふたりとも病気が元で、最後は病院で亡くなりました。

母は70歳、父は79歳。日本の平均寿命からすると少し早く、また私たちの介護も40代のうちに終わったことになります。

Twitterで最近「子育てが終わった50代のおばさん達が若い世代の家事育児を手伝う仕事をすればいい」という趣旨のつぶやきがバズっていましたが、50代の親世代は70代。

余り取り上げられないようですが、そろそろ老いてきた親を手助けしなくてはならない年代に入ってくるのが50代から60代です。

この世代はまだ現役。そして過去は育児が終わった専業主婦がいた世代でしょうが、今は妻も仕事を持っていることも多い。私の父の訪問看護にいらしてくださっていたナースさんも、バリバリに働いていて、お母様の介護もされていた方でした。

そう、育児が終わったら、親の介護が始まる。それが50代です。

そして女性も、知られていないかもしれませんが、男性も更年期の症状が出てくる頃。親のみならず、自分の体調の変化・老いを意識する年代でもあります。

さて、私の両親はもう介護は終わりました。

私の姉が、夫の両親を連れて帰ってきたのは、4年前、2018年の夏でした。

当時、姉の義両親は房総半島の温暖なリゾート地に都内から移住して20数年、夫婦で悠々自適にゴルフや釣りを楽しんで暮らしていました。

ある時、市役所から連絡が来て、夫婦二人暮らしの生活に、ヘルパーさんを入れることになりました。それからしばらくはそのままの生活を続けてこられたようですが、その夏、また市役所から連絡が来ました。

詳しい状況は深く聞きませんでしたが、ふたりの様子が変わった、ということ。

姉夫婦は即日、義両親の元に車を走らせました。

そしてその日の夜、義両親を自宅マンションに連れ帰って来たのです。

それを聞いて私は「お姉ちゃんすごいな」と思ったものです。

姉は「最初、パパは『取り敢えず、なんの準備もしてないから今日はこのまま帰ろう』って言ったんだけど、このまま置いていく訳にはいかないでしょ」と言ってました。

義両親は認知症で、それがひどくなり、ふたりとも食事もお風呂も入っていない状態で数日過ごしていた様でした。

正直、姉が大変な思いをするのは目に見えてました。夫の親と言ったって、世話をするのは姉なので、妹としては心配でした。

義兄は次男。長男は独身。次男に嫁いだとはいえ、義兄が結婚していない上に全く親のことは顧みるような人ではないことを知っていたので、いずれ自分が義両親を見ないといけないことは、薄々覚悟していた姉でした。

遂にその日が来た、という感じですが、それは唐突に来たのです。

私は姉の結婚式で皆でハワイ旅行に行った時以来、姉の義両親にはお会いしていませんでした。

その話を聞いて早速姉宅を訪問したところ、以前会ったご両親とは面変わりした二人がいました。

まるで、中身だけが変わってしまったかのようなもの。

認知症の人をそう呼んだ人がいましたが、まさにそんな状態だったのです。

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復職!交通事故④

事故後の休職から約3ヶ月半が経ち、左足のギプスが取れてリハビリを約1ヶ月、ようやく傍目から見て違和感がなく歩けるようになり、復職の日が決まりました。

復職の際に心配されたのは、骨折した足首の状態でした。

「足が万全になってから、復帰しましょう」という会社の意向と、整形外科のドクターと理学療法士の先生と相談し、復帰の日が決まりました。

ついに復職!前日はよく眠れませんでした。

明日は早く起きて寒い中行かなきゃいけないなあ。嫌だなあ。ちゃんと働けるだろうか・・・。そんな心配をしていました。

でも行ってみたら皆さん「待ってたよ!もう大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

そして何より、仕事に戻れて嬉しい。必要とされて嬉しい。

そういう気持ちが込み上げてきました。

仕事も軽いものから充分な休憩が取れるようにしていただけました。徐々に仕事に戻れるように配慮いただきました。

冷えると足は少し痛みますが、心配したほどではなく、一日目が終わりました。

それからお客様にご挨拶に回って顔見せし、事務所でたまった仕事を片付け・・・。

「久しぶり!心配していたよ、治って良かった!」とお声をかけてくださる方。

「快気祝いだよ」とプレゼントを下さった方。

様々な方が、私を忘れずにいてくださったことが、とても嬉しかったです。

このまま徐々に、元のように仕事をして行けるのではないか。

3ヶ月のブランクを埋めていかなくては。

嬉しさの中に、少しの焦りもありました。

以前でしたら無理してしまったかもしれない。でも、今回の事故のダメージは、いつもの「体調を崩してしまったけど、少し休んだからもう大丈夫」というものとは全く違っていました。

「しんどい、無理だ」

私はわりと頑張ってしまう方なのですが、今回はダメでした。身体が無理で動けない。

その日の朝、午後から出社にしてもらおうかと思い連絡したところ「今日は休んでください」と言っていただき、いつもでしたら「大丈夫です!」と返すところですが、お休みさせていただきました。

そして、次の日も、途中で体調不良になってしまったのです。

 

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交通事故③ 入院1日目

こんばんは。コタツで暖を取りながらMacに向かう風呂上がりの中年です。

コタツってさいこう・・・

この冬、何度お前に飲み込まれたことか・・・

いつまでお前に溺れたいぜ・・・(G.Wまで引っ張るか・・・)

とコタツに愛を囁きながら、書いていきます!

と、その前に、今日は復職に向けて、修理が終わった愛チャリを取りに、電車で会社に行ってきました。

愛チャリのキャサリンは、ずっとわたしを待っていてくれました・・・

上司に挨拶して、驚かれて、よく戻ってきてくれた!と歓迎してくれました。

(もしかしてクビになっちゃうかも?って思っていたけども、人出不足の業界なので助かった)

キャサリンは荷台の左右に残ったキズはそのままでしたが、電動のスイッチやサイドのパーツなど、かなりの部分が新品になっていました。

「いや〜結構いろんなとこ、交換したみたいですよ。

修理代10万くらいしてましたから!

ヒッ!それはもう新しいの買っちゃった方がやすかったのでは???

でもキャサリン、あなたには替えられない・・・

(大丈夫よ、相手の保険会社が支払ってくれるから・・・)

事故現場から自転車を回収してくれた姉の話だと「まあちょっと歪んでるけど乗れなくはない感じ〜」という話でしたが、やはりアから始まる割とデカイ車に当られた訳ですから、ダメージが半端なかったんでしょうね・・・。

当たった瞬間、結構でっかい音しましたから。

でも、自転車があったから、直接身体に受けるダメージは軽減されたのだと思います。

ありがとう、キャサリン・・・。

さて、いろいろ新しくなったキャサリンに乗り、挨拶して走り出したらなんか変な音する・・・

嫌だな、これ・・・でも乗っているうちになんとかなるかな・・・

と思いつつ、亀の甲より年の功、こういう時はめんどくさがると、あとでもっと面倒なことになる・・・と分かっているので、引き返して見てもらったら、

「ああこれ、前輪歪んでますわ!修理ですね!なんで後輪換えたのに、前輪換えなかったんだろう」

とキャサリンは再び修理に出されることになり、今日は一緒に帰れませんでした。

代わりの自転車(おそらくディラン)に乗って、スイスイと帰りましたが、いや〜電動自転車って素晴らしいですね!

仕事復帰に一抹の不安と働きたくない気持ちを抱いていたわたしですが、ディランに乗って自分の好きなところに行ける解放感、仕事に対するやる気が出てきて、そのあとのリハビリも自転車で行ってしまいましたとさ。

キャサリン、いつまでも君を待っているよ!

さて入院2日目。

車に跳ねられてからコンコンと眠って起きたのが、アレです、食事の前のお茶とおしぼりの配布の方が来てくれた時間。

入院したことのある方はご存知だと思いますが、病院の三度の食事の前には「お茶とおしぼり」が配布されます。

今回、アツアツのほうじ茶が各自のコップに配られ、しばらくたってから来る食事と一緒に飲むのにはちょうどいい熱さになっていることを学習しました。

アレが来るのは結構早くて、8時の朝食の前の7時半くらい。

「よく寝たな・・・」

と思いつつも、目が覚めた瞬間、ここは病院のベッドの上で、まさに早くもタイトル回収

「これが夢ならよかったのに・・・」と思いました。

頭、切れてるし。足、腫れてるし。

そして左半身が痛い。肩も腕も腰も太腿も、左が痛い。

これは新たな痛み・・・アレですか、歳とると、筋肉痛が二日目に来る、とかいうやつ・・・

じゃなくて!!!痛いの、車に当たった方!車に当たった左半身が痛いの!

昨日は痛くなかったのに、今日は痛い〜!

なんかここから毎日、違う痛みや傷が出てくる毎日になるんですよ。

鎮痛剤はずっと食後に処方されて飲んでいるんですが。

あと頭からなんか出てる・・・と思って枕を見たら、

「ヒィッ!血がア!」

そりゃ血も出ますがな・・・

最初の救急室でぎゅうぎゅう押されたタンコブですが、まだぷくう・・・と居座っていまして。のちの回診で「タンコブは血腫を出していた方が治りが早いんですよ」と聞きましたのでまあぎゅうぎゅうされて良かったのですが。

あと痛いの、首。

ガンっと当たって左へ行って、しなって右に行って、多分道路にぶち当たった頭部を支えていた首がむち打ち。

交通事故につきものの、アレです。むち打ち。って言うと女王様みたいだな・・・っていつも思ってた・・・。いや、わたしは経験ないですよ?

テンピュール、みたいな首のカーブに沿った枕で首を支えてもらいたい・・・

でも後頭部切れてるから当たると痛い・・・そのジレンマ。

バスタオルを畳んで入れて、首を支えるベストはポジションを探る。

朝食が来たので身体を起こして食べたいのだが、支えがないと座っていられないからベッドをギャッチアップしていく。相当起こしましたよ?でも届かないの、手が・・・。

もう不自然な姿勢で食べようとするけど、頭を動かすとめまいがぐるぐる魔法陣グルグル担っちゃって、気持ち悪いから食べられないよう・・・

あたたかいお味噌汁の、美味しかったこと・・・

要するに、あまり食べられる状態ではなかったです。

あ〜このヨレヨレ具合、産後だ。

わたし、お産だいぶ時間がかかりまして、最後「これ体力もつかな?」と、ベッドの柵を握った手が痺れてきて、命の危険を感じたのです。まあなんとか子どもをひねり出したんですが、もうボロボロ、生まれた川を目指して卵を産んだ鮭か?ってくらいボロボロ。

あんな感じでしたね。

でもわたしの傍には、目を離したら死ぬ、自分の体液(母乳)オンリーでしばらく命をつなぐしかない生き物、つまり赤ちゃんがいないだけ勝算は・・・ある・・・!

しかし痛い。

自分でやらかすだろう力以上のでかい力が加わった感、すごい。

同じ時期にTwitterで「クラウンに跳ねられた若い二児のママ」のアカウントを発見したんですが、多分わたしより遥かに重傷だろうその方が呟いていた

「生きてる、でも死にたい」

っていうこの気持ち。

「車に跳ねられた。でも幸い生きてる。生きてるから、多分また子どもにも会える、回復する。でも元の状態に戻るまで、この傷が癒えるまでずっと痛い。そして元に戻るかなんて分からない、今の自分がどういう状態なのかも分からない、知りたい、でも怖い、多分元に戻るまですごく大変、リハビリもしないといけない、きっとつらい。痛い、すごく痛い、生きてる、でもこれからきっとすごく大変、死にたい」

という気持ち。

めっちゃ分かる!の気持ちを込めてつけた渾身のふぁぼ⭐️

あの時、一口水を飲んでいけば、スマホをいつものようにカゴの中にしまってから横断歩道を渡ればよかった。

でも時は戻らないし、この切れた頭と腫れた足は戻らない。ここから治していくしかない、時間はかかるしたくさん迷惑かける。

仕方ない。

トイレさえも自分一人で行けないのだ。

お向かいのわたしの母くらいの女性は、頻繁にトイレに行きたがるので、朝食が来る直前にナースコールを押して「食べてからじゃダメかな」と言われていたりしてるのを見て、

「なるべく、お忙しいナースさんの妨げにならないようにしなくては」

と思い、膀胱をなだめつつ、タイミングを測ってお願いしたり。

すぐ横にあるサイドボードの上にある薬や水を取るのに、手を伸ばし体勢が変わり頭部が動くと猛烈なめまいが来るので、一苦労だ。

もう、生きることが大変。

裂傷から流れ出た血は、ナースさんが最初の処置室で横になったまま軽くシャンプーをして洗い流してくれたのだけど、まだ髪から血の匂いがしてゴワゴワしてる。

入浴なんてできるはずないし、下着も替えることも出来ない。

頭にぐるぐる巻かれた包帯は、耳もかぶっていて音も聴こえにくい。

アイシングしてもらっている腫れた足首は、動くと氷嚢がずれてしまうのであまりその用を足していない。

あああ、もういやだ〜。

なんであの人、もう少し注意してくれなかったんだろう?

なんで徐行もしないで交差点に侵入してきたんだろう?

結局、そこに行き着く。

でも、あの時、わたしの周りに人がいた。

左後ろにもいたし、前から横断歩道を渡り始めた人もいた。

でも当たったのは自転車に乗ったわたしだった。

自転車があったから、軽症で済んだのかもしれない。

歩行者だったらもっと重傷になったかもしれない。

自転車に乗っていたわたしで良かったな。

そう思ってまた眠る。

痛みが特につらかった2日間、見る夢全て、とても楽しくて、あまり見ないような素敵な世界の夢だった。

夢から覚めて、「良い夢見た〜」と思う夢だった。

空を飛ぶ夢、美しい異世界を旅する夢、素敵な家に住んでいる夢、そして亡くなった両親が出てくる夢。

ああ、今日も楽しかった・・・こんな楽しい夢、毎日見れて本当に楽しみ・・・などと思っていた。

これはもしかして、現実の痛みから目を逸らすために、脳が見せてた夢なんじゃないか?と思いました。

それならば、人間て、よくできてる。

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交通事故② 人生で初めて縫われました!

事故当日の搬送から処置まで、続きます。

○病院での処置

全身、痛みや異常がないか触診、画像撮影などあったのですが、目はめまいで開けられないものの、意識ははっきりしているので、医師の問いには答えられ、どうもダメージを受けたのは傷は後頭部と左足首ということが判明してきたようでした。

後頭部の傷からの出血が止まらず、縫合することになったのですが、その前に血が溜まっている部分から絞り出す処置をされました。

申し訳ないですが、これが痛いのなんの!

「痛い痛い痛い、ちょっとどうにかなりませんか?!」

って言っちゃいました、普段は痛みに強い方なので大抵のことは我慢できるんですが。

そしたら麻酔を入れてくれました。ありがたい。医学の力、素晴らしい。        つーか早く入れてくれ。

ぎゅうぎゅう押してるのですが、首が痛くて、ちょ、待てよ、と思いましたがとにかく   ぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。

そしたら血が吹き出して飛んだらしく、

「うわっ!」

「すみません、ちょっと気分が」

「いいから座って休んで・・・」

などと聞こえてきて、どうやら医師の1人が気分が悪くなってしまったようで、     「すみませんね、わたしの出血で・・・」                      と申し訳ない気持ちでいたところ、頭を数針縫われて                「おいおい、出産の時も縫われたことなかったのに、人生初の縫合だよ」        なんて思いつつ、処置は終わったようで                      「頭を縫合し、出血は止まった。脳の検査では脳内出血などの所見なし、足は骨折してはいないようなので捻挫でしょう」                            ということを説明されました。

そして姉を呼んでくれ、処置を待っていてくれた姉と会えたました。

○その時わたしの心境

わたしは仕事中で、お客様のところに向かっているところでした。

横断歩道で見ていたスマホをいつもなら自転車の前かご荷物に入れるのですが、その時は上着のポケットに入れました。

その日は朝、肌寒くて、父が着ていたウィンドブレーカーを初めて着ていました。

一口水を飲んで行こうかな、と思いましたが、到着してからにしようと思い、青信号に替わってすぐに歩道を漕ぎ出しました。

もうすぐ渡り切るという時に、突然白いワンボックスカーが見えました。

危ない!と思った時に、夢の中のようにスローモーションになりました。

「わたしは自転車なので、バックすることはできない。でもスピードを上げて前に避けるのは時間的に無理、車がブレーキかけて止まってくれないか?」

そう考えていました。左後ろに歩行者がいるのが見え、前方にも歩道を渡ろうとスタートした人が数人いるのが分かりました。

「こんなにわたし以外に人がいるのに、なんでこの車は徐行しないで突っ込んで来るんだろう?」

そう考えていました。

車のブレーキに期待したのですが、全く止まる様子はなく、車はわたしにヒットしました。

ちょうど、引き寄せられるように衝突したのです。

自転車の側面がガツン!!と音を立てて当たり、うわっ当っちゃった!夢じゃなかった〜と思ったら、地面に倒れていました。

「わたしを待っているお客様がいる」

「ああ、仕事に穴を開けてしまった」

「子どもはどうしよう」

「これは怪我しているから元の生活はできない」

「悔しい、悔しい、なんで」

「あの車はなんで徐行もしないで突っ込んできたの?」

「ああ、みんなに迷惑かけてしまう。申し訳ない」

充分、気をつけて来たつもりだったのですが、事故に遭ってしまった。

その悔しさと申し訳なさ、不安で涙が止まりませんでした。

わたしは人生で4回入院しましたが、一番痛くて、つらい入院生活になりました。

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交通事故① 36万人のうちのひとり。

わたしもそろそろ半世紀生きてきまして、受験・進学・就職・転職・結婚・出産・育児などひと通りこなしてきたのですが、特記事項として被災・病気・離婚あたり、まああまり大多数の人が

「経験しないまま過ごせれば良いよね」

的な経験を持っているですが、この度加わったのが

交通事故。

まあ、正直 遭いたくなかった というのが正直な気持ちですね。

人生の中でNO.1かもしれない出来事でした。

今はリハビリ絶賛自宅療養中なんですが、交通事故に遭う ということがどんなことか、自分のためにも、そしてこれから事故に遭う人にも(縁起悪いですな)参考にしていただける記録にしたいと思っています。

事故に遭ってから3ヶ月、今はやっと歩けるようになり、階段もややぎこちないですが降りれるし、小走りもできるようになりました。

でも後頭部は当たると痛いし、骨折した部分も起きると、また冷えると痛いです。打撲した跡は謎に膨らんだまま触ると痛いし、一番はめまいが残っているというのが不安。

正直見た目は治癒してきましたが「だいたいどこか痛い」状態です。

そしてそれは完全に戻ることはない。

事故に遭う前の自分には戻れない。

それが精神的に地味に効いてくる回復期、つまり今のわたしの状態です。

受傷直後は傷が痛い、それ以外考えられず、とにかく早くこの痛みがなくなるということに意識がいっている状態です。そのつらさは「なんとか生きてる、でも死にたい」という感じ。

「事故に遭ったけど、幸にして生きてる。でもとにかく痛い、つらい、自分の身体はどうなってしまうのだろう?怖い、これからどうなるの?痛い、つらい、いっそのこと死にたい」

という気持ちでした。

事故に遭った重症の方で、事故前の状態に完全に戻ったよ〜!という人って、いないのではないかな?と思います。

重症であれば、おそらく骨折しているでしょう。骨折したところって、痛むんです。手術するケースもあるでしょう。そしたら傷が残ります。

頭を打った場合、わたしもそうなのですがめまいがするよう、鞭打ちになる方が多いのではないでしょうか。その痛みや痺れは、レントゲンやMRIの画像には写りません。

わたしの様に、疾患が残っても傍目には見えないため、分からないでしょう。

いわゆる「事故車」みたいなものだなと思います。

受傷後、スマホが持てるようになってから、わたしは検索しまくりました。

「足首骨折 全治」「交通事故 めまい」「交通事故 頭部挫創 全治」・・・病院のベッドでは痛みから逃げるために眠るしかない。でも目が覚めてしまう。痛いのを紛らわせるためにできることはスマホくらいしかない。

どのくらい検索したでしょうか。でもわたしの様な交通事故に遭った人のブログは意外と見当らないのです。

事故状況、入院、退院、自宅療養、リハビリ、加害者との交渉。

交通事故被害者が、これからどうしていったらいいのか。

そこが知りたい。だって初めて事故に遭ったんだもの!

交通事故に遭う、それも重症の被害者になる。

人生でそうある事ではないのでしょうか。考えたら「車に跳ねられたよ」という親戚、聞いたことないし、友達でもいませんね。

先日、新聞を読んでいて「2021年の交通事故死者数は2636人」だったそうです。

発生件数は約30万5000件。負傷者数は36万人。わたしもその内の1人ですね。

日本の人口は1億2000万人とすると、0.3%。結構レアなんですね、交通事故に遭うって事は。

しかし2636人の方が年間交通事故で亡くなられているのですね・・・。

「交通事故死者」とは「交通事故によって、発生から24時間以内に亡くなった場合」なので、交通事故が原因で亡くなった方はさらに多くの数にのぼるのでしょう。

自動ブレーキ搭載の車の開発、早よ!

わたしの場合は、自動ブレーキ搭載だったらぶつかられなかったかな・・・

でも時は戻せません。

こうなった身体と心で生きてくしかありません。腹を括ってやってくしかない。

なのでここでブログとして書き残しておこうと思います。

「今日と同じ明日が来ないかもしれない」

というのは、今から27年まえに被災した時に、わたしに刷り込まれたものです。

大抵、ひとは「自分には降りかからないだろう」と思って日々を生きているものです。

流れる悲しいニュースに心を痛めていても、それが明日の自分になってしまうとは夢にも思わず生きている。でもそれが人間です。

「明日わたしも被災するかも!事故に遭うかも!」なんて心配していたら、どこにも行けないし何もできない。だからそう思って日々を過ごすのは当たり前です。

だから「まあそう思っていたけど、車に跳ねられちゃった人もいるよ」くらいな気持ちで読んでくださったら、ありがたいと思っています。

それでは、冬のきつい寒さの最中に書き始めたこのブログに、しばらくお付き合いください。

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初めまして。車に跳ねられて考えたこと。

初めまして、伊吹です。

この度、日々思うことを記録にしてみようと思い立ち、このblogを始めました。

きっかけは昨年、仕事中に車に跳ねられ療養生活を余儀なくされたことでした。

私の人生、割といろいろなことを経験してきたのですが、交通事故、しかも車に跳ねられる、ということは今までになく、家族や親戚にも聞いたことがない経験でした。

「自分の身体は果たして治るのか」

「元のように働けるのか」

「後遺症が残るか」

不安で、痛くて、でもどうにも出来なくて。

そんな中で弟が「元気になったらブログを書けば?」とLINEでアドバイスしてくれたのです。

「そんなこと痛くて考えられない、とてもムリ〜」

と思いました。その時は。

でもこうして起き上がれて動けるようになったのだから、何かしてみようと思い立ちました。

書いてみると、いろいろ自分には書きたいことがある。

実は、私は10数年前に始めたブログがありました。

そのブログは数年前、私生活のゴタゴタで更新が滞り、そのうちに自分だけでなく使っていたPCに自動に出てくれていたIDやパスワードも消えてしまい、編集画面を開くことも出来なくなってしまいました。

10数年分の人生の記録。

その中には、私が経験して書き残してきたもので、役に立つものもあるかもしれない。

そう思い立ち、体系的に整理してみようと思いつきました。

試行錯誤の末、ようやくIDを突き止めてブログにログインすることが出来たのです!

婚活、婚約、結婚、妊娠、出産、育児、親の看護・看取り、離婚、介護、国家資格取得、就職。2006年からの記録が詰まっていました。

少しずつ、過去のこと、そして今のことを書いていこうと思います。

未熟で、遅筆かと思いますが、自分のためにも、これからのためにも、綴っていきたいと思います。

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