先月末に、やっと「ウエストサイド・ストーリー」を観てきました!
子どもが言うところの「旧作」、つまり「ウエスト・サイド物語が人生の映画No.1」と思っている私。新作の感想を綴っていきたいと思います。
①みんな若いな・・・そしてガチでヤバいトニーとリフ
私が「ウエスト・サイド物語」を初めて観たのは今から35年ほど前、年末年始のテレビで夜中に放送されていたダンスシーンに衝撃を受けました。その時、ビデオ録画をしていて、何回も何回も観たのを思い出します。
「こんな映画があったなんて」
特にジョージ・チャキリスのベルナルドのカッコよさ。アニタのダンス。こんなに踊れる不良がいるか!というツッコミは置いておいて、その音楽とダンスの虜になりました。初めて買ってもらったCDはこの映画のサントラでした。
当然、キャストは当時の私より歳上の20代だったのでしょう。キャストは皆大人でした。
そして2022年の新作は、四十路の私より若い。むしろ息子・娘世代な訳でして。だから「幼い」と感じるのも無理ないんですが。
今回強く感じたのが「トニーとリフの絆」でした。
リフのヒリヒリした死に急いでいる感じ、中二っぽく感じてしまったのは私だけでしょうか?旧作のトニーは「昔はワルだったけど、今は働く好青年だよ!」という感じだったのですが、このトニー、「気を抜いたらまた落ちてしまう」という危うさがあって。そりゃガチの前科者ですから、危うさ満載でしょう。
「喧嘩で相手を半殺しにして出所したところ」のトニーは、リフの銃を奪おうとして、足場の悪い廃墟で争いになってます。(旧作で決闘後に荒ぶるジェット団を鎮める場面につかわれた「クール」はここに使われてます)結局、銃はリフから取り上げることは出来ませんが、それも仕方ない、リフの狂気に諦めさえ感じさせています。
また、トニーは決闘の場面でプロ・ボクサーであるベルナルドを滅多打ちにするところに狂気を滲ませます。「このままでは本当に殺してしまう」と気付いた感じが怖しかった。トニーのヤバさはガチです。
リフも「明日がない」感満載。旧作のちょっとぽっちゃりなリフとは全く違って、病んでます。明るく、頼りになるアニキ系の旧作リフでしたが、自分たちの街がいずれ開発で消失してしまうのは決まっていて、家庭にも居場所がないことに追い詰められて絶望している、いつ死んでもいい、なんならすぐにでもこの足場が崩れてしまえばいいとさえ思っているようなリフ。このリフが死んでも、「ああ」と納得してしまうだろう、危うさと脆さを持ったリフ。(これはトニーにも言えると思います)
周りを取り巻くジェット団も、最初の小競り合いでトラックに積んだ果物を路上に撒いてシャークの追跡を妨害するところなんか、周囲に迷惑をかけることも想像できない幼さ。死に向かっているのがありありと分かるリフに、恐れを感じながらも縋っている感じが痛々しい若者の群れに感じました。
「もっと豊かになるチャンスを逃した白人底辺」というクラプキ警部のセリフがありましたが、その中でもがき苦しんでいる若者の姿を容赦無く描いていたのが新作の様でした。
②シャーク団は働く青年団だった
対してシャーク団。ベルナルドは驚きのプロ・ボクサーという設定。そしてもっと驚いたのがチノ。資格を取るために学校に通っている、しかもシャーク団の一員ではない、ベルナルドの友人である。メガネをかけた、ずんぐりとした真面目な若者であったこと。そして皆、仕事に就いている様子。要は「まともなリーダーのもと、移民であるという弱みのために若者が結成した自警団のようなもの」がシャーク団、という印象。
アニータはお針子を雇って仕事をするほどだし、マリアも夜間の清掃の仕事に就いている。この辺、アップデートされている感じがある。
ダンスパーティーの後にビルの屋上で踊った「アメリカ」は、昼間の街路に躍り出た明るいものになっている。
旧作では白人移民であるジェット団の方が強みがあったと思ったが、新作では上手くアメリカ社会に順応しているシャーク団の方がずっとまともでしぶとい感じがありました。
④人種の坩堝・ニューヨーク
「人種のるつぼ」という言葉は、私が中学の時の社会の教科書に載っていた言葉です。新作の中にも黒人の姿もありましたね。ポーランド系、ドイツ系、プエルトリコ系。映画には出てこなくても中国系、日系、シンガポール系など、アジア系の人々もたくさんいたのでしょう。
まさに大挙して移民が押し寄せていたニューヨークは人種の坩堝。今のアメリカ社会にも根強く残っている人種差別。決して消えはしない問題でもあります。そしてこの映画のテーマでもあります。
これについて、上手く語れる言葉がありません。
「プエルトリコ系の女をモノにしてやろうと思ってるんだろう?」というベルナルドの言葉。白人はそれ以外の人種を下に見ている。差別され続けてきたからこそ出てくる言葉です。トニーとマリアの恋が成就するなんて、当時はありえないことだった。
ほんの一握りだけど、人種が違っても結ばれる人たちがいた。ドクたちがいた。だからこそ、トニーはマリアと一緒に生きていけるかもしれないと思った。
1年前になりますが、私は宝塚歌劇で「ロミオとジュリエット」を観ました。言わずと知れた、シェイクスピア原作であり、ウエストサイドの元になった戯曲です。
ロミオはトニー、ジュリエットはマリア、ティボルトがベルナルド、ヴェンボーリオがリフ、マキューシオがアイスマン、乳母がアニータ、ドクが牧師に当たる配役。
ヴェローナという街で長年憎しみ合ってきた両家の一人息子・一人娘が恋に落ちるも、行き違いから若い二人は命を落とし、その犠牲によって両家が和解しようやく平和が訪れる、という物語。
若い、眩しいふたりが命を落とす様は本当に愚かで無惨です。「生まれて初めて口にするのが憎しみ」であるほど、両家の大人は憎悪を子どもに植え付けます。憎しみの連鎖は断ち切られることなく続き、ここまでしないと分からない愚かな大人に「神は罰を下された」というセリフがありました。もし、報告・連絡・相談ができて、ふたりが追放になったとしても生きて両家を結びつけることができたらこの上なく幸せで平和であっただろうと思います。でもそうならないのが芸術・文学です。
ウエストサイド・ストーリーも然り。
ウエストサイドの根底に流れるのは「人種差別」です。これは現代になっても変わらない。「一緒の街に住むんだから、仲良くしようや」とはならないのが人間なのでしょう。この憎悪が人を蝕んでいく。スピルバーグはそこを深く抉ってきた気がします。
③性犯罪に対する描写
とても印象的だったのが、マリアの伝言を伝えに来たアニータを、ジェット団がレイプしようとした場面。
リフの恋人のグラジエラが危険を察知してアニータに帰るように言うも、女性たちは締め出されてしまう。グラジエラはガラスを叩いてアニータを助けようとする。
旧作ではその場から立ち去らず、眺めていたグラジエラでしたが、危機感を持って同じ女性であるアニータを助けようとしていました。
そしてはっきりとバレンティーナは「レイピスト」と男たちを非難している。
旧作を初めて観た時はこれが性犯罪だとはよく分かりませんでしたが、涙を流して男たちを憎々しげに罵り「マリアは死んだ」と嘘を伝えるアニータの表情を見て、これは大変なことをされたのだと感じました。
新作では明らかにジェット団はアニータをレイプしようとしていたという描写がされていて、それに対しての女性の姿勢がはっきり描かれていたのが印象的であり、希望でした。
「アメリカ」で「私はアメリカ人よ」と歌っていたアニータが、「私はプエルトリカンよ!」と叫ぶほど、打ち砕かれてしまった彼女の心が表れていたのが悲しくやりきれませんでした。
男性の庇護を失った(ベルナルドの死によって)女性は犯しても良い、女は黙っていろ、という女性差別の表れでもあったのが、ドクの店のシーンでもありました。
④総評として
「人生で一番繰り返し観た映画」であるウエスト・サイド物語ですので、作中の音楽の歌詞全て憶えていて、自分でも驚きました。バーンスタインの音楽はやはり素晴らしい。そしてジェローム・ロビンスの振り付けも。
ダンスシーンは旧作を超えなかったです、私の中では。やはりリタ・モレノとジョージ・チャキリスが良すぎた。黒いスーツに紫の裏地のベルナルドと、幾重にも重なった紫のパニエがついたドレスのアニータのカップルのカッコ良さ。(「マンボ!」のシーンはビシッとキメて欲しかったなあ!)
ふわっとしてますが、旧作の方がバレエなどのダンスの基礎をしっかりやったダンサーが多かったのではないかな?
歌は新作も良かったです。ヒロイン・マリアは旧作は吹き替えでしたが、新作は力強い歌声。眉毛もしっかりしていて、リアリティを感じました。
トニーに関しては、元々、私は旧作からトニーという人物に魅力を感じていないのが今回はっきり分かりまして。そして、トニー役の俳優の性犯罪の告発もあり、新作でもトニーに対して魅力を感じなかった、ビジュアルもあまり好きなタイプでなかったので、大きくマイナスではありました。
前科もあるし、これじゃお兄ちゃんが許すわけないじゃん・・・無理筋でしょう、二人が結ばれるのは・・・。ここまでハードルを上げてしまったのはなんでなんでしょうかね、スピルバーグ氏。
チノの造型は良かったです。インテリのベルナルドの友人として描いたことで、ベルナルドに対する復讐の方に重きが置かれていて、納得しました。逮捕された彼の今後を憂いてしまいましたよ・・・。
トニーとリフの絆が強すぎて、これまたふたりが死んでしまうのも納得という感じですが、リフはグラジエラよりトニーが好きだよね?リフのトニーに対するクソデカ感情が重い・・・
トニーとマリアでは、トニーの方が浮かれていて、マリアは兄への反発からトニーに傾斜して行っている感が強い。
ラストでトニーの遺体を運ぶのを手伝うシャークの若者の描写で、人種の壁を乗り越えて希望が見えた旧作でしたが、新作では「これで和解できないだろ・・・」と重いものを感じました。単なる「人種の違いからくる争い」だけでなく、精神的な病や家庭問題まで踏み込んだ描写は、簡単に救いの光を見せてはくれませんでした。(クラプキ警部の歌は旧作でも出ていましたが何故か明るく、彼らはヤクもやっていない)
旧作との一番の違いは「リフが病んでる」ことだったのかもしれません。
人種差別、女性差別、性差別、家父長制、性犯罪などいろいろなものを盛り込んだ新作「ウエストサイド・ストーリー」。現代の価値観にアップデートされている新しいミュージカル映画になっています。
大昔の中学生だった私に刺さったように、若い人たちに刺さってくれたらいいなと思います。
最後にリタ・モレノについて。
旧作で魅力的なアニータでオスカーを受賞した彼女が、新作でもなんと90歳で出演しています。素晴らしいですね。
https://www.cinematoday.jp/news/N0128418
(日本でも小泉八雲に扮したドラマに出演されていたジョージ・チャキリスはご存命のようです。マリア役のナタリー・ウッドは事故死されています。キャストの多くは鬼籍に入っておられるようです)
https://natalie.mu/stage/news/344730
3年前の記事ですが、若いですね!
旧作・ウエストサイド物語でのキャストの輝きは、今も色褪せることなく私の心の中にあり続けています。一緒に見た子どもの心にも残っていると良いなと思います。