親の内側が変わっていく〜認知症というもの

私は3人きょうだいの真ん中に生まれました。

姉弟は2学年ずつ離れています。2歳上の姉が歳を取ると、「私もそろそろだな」と感じてきたのですが、姉が50歳になり、あれよあれよという間に、私も50になろうとしています。

私たちの両親は、母が7年前に、父が2年前に亡くなりました。2015年と2020年は特別な年になりました。ふたりとも病気が元で、最後は病院で亡くなりました。

母は70歳、父は79歳。日本の平均寿命からすると少し早く、また私たちの介護も40代のうちに終わったことになります。

Twitterで最近「子育てが終わった50代のおばさん達が若い世代の家事育児を手伝う仕事をすればいい」という趣旨のつぶやきがバズっていましたが、50代の親世代は70代。

余り取り上げられないようですが、そろそろ老いてきた親を手助けしなくてはならない年代に入ってくるのが50代から60代です。

この世代はまだ現役。そして過去は育児が終わった専業主婦がいた世代でしょうが、今は妻も仕事を持っていることも多い。私の父の訪問看護にいらしてくださっていたナースさんも、バリバリに働いていて、お母様の介護もされていた方でした。

そう、育児が終わったら、親の介護が始まる。それが50代です。

そして女性も、知られていないかもしれませんが、男性も更年期の症状が出てくる頃。親のみならず、自分の体調の変化・老いを意識する年代でもあります。

さて、私の両親はもう介護は終わりました。

私の姉が、夫の両親を連れて帰ってきたのは、4年前、2018年の夏でした。

当時、姉の義両親は房総半島の温暖なリゾート地に都内から移住して20数年、夫婦で悠々自適にゴルフや釣りを楽しんで暮らしていました。

ある時、市役所から連絡が来て、夫婦二人暮らしの生活に、ヘルパーさんを入れることになりました。それからしばらくはそのままの生活を続けてこられたようですが、その夏、また市役所から連絡が来ました。

詳しい状況は深く聞きませんでしたが、ふたりの様子が変わった、ということ。

姉夫婦は即日、義両親の元に車を走らせました。

そしてその日の夜、義両親を自宅マンションに連れ帰って来たのです。

それを聞いて私は「お姉ちゃんすごいな」と思ったものです。

姉は「最初、パパは『取り敢えず、なんの準備もしてないから今日はこのまま帰ろう』って言ったんだけど、このまま置いていく訳にはいかないでしょ」と言ってました。

義両親は認知症で、それがひどくなり、ふたりとも食事もお風呂も入っていない状態で数日過ごしていた様でした。

正直、姉が大変な思いをするのは目に見えてました。夫の親と言ったって、世話をするのは姉なので、妹としては心配でした。

義兄は次男。長男は独身。次男に嫁いだとはいえ、義兄が結婚していない上に全く親のことは顧みるような人ではないことを知っていたので、いずれ自分が義両親を見ないといけないことは、薄々覚悟していた姉でした。

遂にその日が来た、という感じですが、それは唐突に来たのです。

私は姉の結婚式で皆でハワイ旅行に行った時以来、姉の義両親にはお会いしていませんでした。

その話を聞いて早速姉宅を訪問したところ、以前会ったご両親とは面変わりした二人がいました。

まるで、中身だけが変わってしまったかのようなもの。

認知症の人をそう呼んだ人がいましたが、まさにそんな状態だったのです。

伊吹 について

いつもどこかが痛い人生。 なので目が覚めるたびに「あれ?夢かな?」って思ってる毎日。 帰ってきたヅカオタ。 いつも心に煉獄さん。 反抗期の子どもがひとり。つらい。 2008年からのブログ→https://blog.goo.ne.jp/ritsuko-11
カテゴリー: その他, 認知症 タグ: パーマリンク

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