忘却は罪と言うけれど〜認知症ということ

姉の義父が亡くなって、しばらく経ちました。

葬儀の前に、久々に姉宅を訪問したところ、義母は眠っていました。

しばらくして起きてきて、私の顔を見るなり「お父さん、死んじゃった」と言って泣き出す姿に、私も涙が出ました。

でもすぐに昼食が出てくると、忘れてしまったように一心不乱に食事を食べる義母の姿を見て、とても処理できない感情を覚えました。

姉は「食べて忘れよう・・・」と言っていて、それを聞いているのかいないのか、義母はその時は確かに夫を亡くしたことを忘れているようでした。

そして食べ終わり、しばらくすると「お父さんが死んじゃった、寂しい」としくしくと泣き始めるのでした。

姉によると夜中になると「お父さん、どこに行ったか知らない?探してるのにどこにもいないの」とドアをノックしてくるそうで、流石に息子である義兄は精神的に参ってきてしまったようでした。

義兄にしたら、自分も父親を亡くして悲しんでいるのに、母親が何度も「お父さんいないんだけど」と聞いてきて、その度に「死んだんだよ」と告げ、それを聞いて泣き出す母親の姿をそのたびに見ることになるわけです。

それはつらいだろうな・・・と思います。

義兄は「ずっと憶えていて悲しみに浸っているわけではないから、逆に認知症で良かったのかもしれない」と言っていました。

「朝日の中でみんなで見送ったじゃない」と言うと、「朝日が当たって眩しかったことは憶えている」と言うそうです。でも、お父さんが亡くなったことは忘れてしまう。

でも55年もずっと一緒にいた人が、ある日を境にいなくなってしまう。

それを信じがたい、信じられない、信じたくない、と思うのは自然なことかもしれません。

義母はお休みしていたディサービスを再開して、そこで会う人たちに「お父さん、亡くなったのよ」と言うとみんなすごく驚く、毎回帰宅して話してくれるそうです。

もしかしたら、義父が亡くなったことを話しても、周りの利用者さんもそのことを忘れてしまって毎回驚いてくれているのかもしれません。

今日の「となりのチカラ」では、認知症になったおばあちゃんの徘徊が頻回になってきて、ついに施設入所する場面がありました。

迎えの車に乗る前に、ふっと昔のおばあちゃんに戻って「ハグして頂戴」というおばあちゃん。その後、孫のことが分からなくなってしまうけれど「孫をよろしくお願いね」とチカラに頼むおばあちゃん。

本当に切ない。

医学の進歩で人間の身体の方は長く生きられるようになったけれど、脳の方は本来の寿命のままなんだろうな、と私は思います。

身体の耐用年数と、脳の耐用年数が釣り合わなくなっている。その結果が認知症なのでしょうか。

「忘却は罪」という古い映画の惹句がありましたが、つらいことを忘れ去ることができる認知症という病は、人間に取っては優しい効用もあるのかもしれません。

伊吹 について

いつもどこかが痛い人生。 なので目が覚めるたびに「あれ?夢かな?」って思ってる毎日。 帰ってきたヅカオタ。 いつも心に煉獄さん。 反抗期の子どもがひとり。つらい。 2008年からのブログ→https://blog.goo.ne.jp/ritsuko-11
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