初めまして。車に跳ねられて考えたこと。

初めまして、伊吹です。

この度、日々思うことを記録にしてみようと思い立ち、このblogを始めました。

きっかけは昨年、仕事中に車に跳ねられ療養生活を余儀なくされたことでした。

私の人生、割といろいろなことを経験してきたのですが、交通事故、しかも車に跳ねられる、ということは今までになく、家族や親戚にも聞いたことがない経験でした。

「自分の身体は果たして治るのか」

「元のように働けるのか」

「後遺症が残るか」

不安で、痛くて、でもどうにも出来なくて。

そんな中で弟が「元気になったらブログを書けば?」とLINEでアドバイスしてくれたのです。

「そんなこと痛くて考えられない、とてもムリ〜」

と思いました。その時は。

でもこうして起き上がれて動けるようになったのだから、何かしてみようと思い立ちました。

書いてみると、いろいろ自分には書きたいことがある。

実は、私は10数年前に始めたブログがありました。

そのブログは数年前、私生活のゴタゴタで更新が滞り、そのうちに自分だけでなく使っていたPCに自動に出てくれていたIDやパスワードも消えてしまい、編集画面を開くことも出来なくなってしまいました。

10数年分の人生の記録。

その中には、私が経験して書き残してきたもので、役に立つものもあるかもしれない。

そう思い立ち、体系的に整理してみようと思いつきました。

試行錯誤の末、ようやくIDを突き止めてブログにログインすることが出来たのです!

婚活、婚約、結婚、妊娠、出産、育児、親の看護・看取り、離婚、介護、国家資格取得、就職。2006年からの記録が詰まっていました。

少しずつ、過去のこと、そして今のことを書いていこうと思います。

未熟で、遅筆かと思いますが、自分のためにも、これからのためにも、綴っていきたいと思います。

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星組公演「ジャガー・ビート」

こんばんは。

こんなに時間が空いてしまいましたが、星組「ジャガー・ビート」について語らせていただきます。

https://kageki.hankyu.co.jp/revue/2022/syayounokuninorusudan/index.html

メガファンタジー

『JAGUAR BEAT-ジャガービート-』
作・演出/齋藤 吉正

半人半獣のJAGUAR(ジャガー)を主人公に、その生命と愛を軸に展開する、宝塚歌劇の伝統に新たな挑戦を加味したストーリー仕立てのショー作品。
名もない星のジャングルで生まれたJAGUARは、美しいCRYSTAL BIRDに恋をし、彼女に誘われて未知なる世界への旅に出る…。
JAGUARに扮する礼真琴を中心とした星組生達の様々な魅力を、パワフルなビートで綴るメガファンタジー。

https://www.youtube.com/watch?v=VtMioPfU8Jo

まあコレだけ読んでも分からないでしょう、私もサッパリでした!

前評判では「ギラギラしてる」「すごい電飾」「体感3分」「女豹」「ビッビッビッ」「マジマジマジック」「クリスタルファンタジー」と聞いていたのですが、観て納得。なんと暗転がない。だからずっと見せ場が続いているような感覚が続くショーなのです。

演出家の先生は齋藤先生。正直、美弥さんの退団公演の武蔵では、美弥さんの扱いを恨むぞよ・・・という感じで齋藤先生か〜という感じでした。しかしなんと今までで一番好きなショーになりました!

頭の中から「マジマジマジック」「クリスタル・ファンタジー」が離れない。

特に私は瀬央さんから始まる「マジマジマジック」の中詰が大好きで、公演終了から1ヶ月くらい毎日観ていました。

何を言っているのか分からないけど「偽りに抱かれたブラックシーズン」など不穏な歌詞にもかかわらず多幸感がすごい。

舞空瞳さんのダルマ・・・私は今回幸運なことにSS席で2回観せていただけたんですが、舞空さんのお御足の長さ、頭身の小ささ、可愛さが脳に焼きつきました。「こんな可愛い人類がいるんだ・・・舞空さんのお母様、なこちゃんを産んでくださってありがとうございました」と感謝しました。

踊る、歌う、礼真琴。ザ・イエローモンキーの「ロックスター」をプロローグ終わりに銀橋で歌い上げてくれます。上手い。コレでもかと彼女の芸を堪能できる。

今回は2回、デュエットダンスがある!普通はトップコンビのデュエットダンスはフィナーレに男役群舞の後、1回なんですが、ジャガーとクリスタのダンスの後、キワミシン君がジャガー横田さんの「愛のジャガー」でせり上がり、瀬央ゆりあさんが娘役を率いて西城秀樹さんの「ジャガー」を歌い、男役群舞の後、さらに舞空さんの歌で礼さん・瀬央さん・暁千星さんが踊り、さらに礼・舞空のデュエットダンスで締め。

観てる方は「えっまだあるの?終わり?まだ観せてくれるの?」とお腹いっぱいでした。

ショーには案内役のような3人組が登場することが多いのですが、普通1組なんですが3組くらい出てきた?それも歌うまなので息が抜けない。本当に、観る方も体力がいるショー?でした。

あとは男役の天華えまさんが女豹に扮したり、暁・極美のデュエットダンスも見どころ。

宝塚のショーはパリがモチーフになったショーが多く、珍しいところではタイもありまして、このように「ロック」「宇宙」が舞台のショーは稀かと思います。まさに齋藤先生オリジナル。テーマは「ジャガー」。コレは画期的だったと思います。

言葉で説明するのは難しいんですが、ぜひ一度観てみていただきたいですね!

今日は「1789」の宝塚での千秋楽でした。配信で見ましたがコレも素晴らしかった!

今ならまだ礼真琴に間に合う。

そうおっしゃったのは漫画家のえすとえむさんですが、心から賛同いたします。

星組、熱いですよ!

 

 

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2023年観劇始め〜宝塚星組公演「ディミトリ」①

初めて宝塚を観劇したのは中学生の時。

東宝宝塚劇場で月組「ときめきの花の伝説」でした。大地真央さんの次のトップ、剣幸さん主演の作品でした。その時のわたしは「なぜここで歌う?」「なぜここでダンスを?」など思ってしまい、入り込むことが出来ませんでした。今思えば、わたしの感性が宝塚向きではなかったんですね笑

あの舞台を観て「素敵!」「もっと観たい!」さらに「あの舞台に立ちたい!」と思うのは、感性があるのです。宝塚に向いている、っていうこと。わたしにはそれがなくて。それなりに「すごいな」とは思いましたが、そこまでではなく。

それから縁あって宝塚の町に住んで大学に通う4年間を過ごし、劇場までは徒歩10分、ちょっと行って観てくる、なんて生活。今思うとなんて恵まれていたのでしょう。当時は大浦みずきさんがトップの花組、涼風真世さんの月組、一路真輝さんの雪組、紫苑ゆうさんの星組時代。今は帝劇でも上演されるようになった「エリザベート」の初演初日はよく憶えています。安寿ミラさんのファンでお茶会にも行ったことがありました。その後就職で上京した後はあまり観なくなって、結婚して地方に行ってからは、地方公演はちらほら観ていたのですが特に刺さる方がいず。

「エリザベート」や「ベルばら」が上演されると拝見していたのですが、ある時USJに行きたいという子どもと一緒に、なんならムラで観ようか!と観劇したのですが、退団直前の美弥るりかさんがなぜか深く刺さりオペラグラスが曇りました・・・。そこから5組を観劇するようになり、ファンに復帰しました。

美弥さん退団後はそれぞれの組に「良いな」という人がいて、ライトに楽しんでいました。花は音くり寿さん、永久輝せあさん、月は月城かなとさん、楓ゆきさん、雪は朝美絢さん、星は礼真琴さん、紫りらさん、宙は芹香斗亜さん、和希そらさん。

中でも礼真琴さん・舞空瞳さんの星組トップコンビは素晴らしく、長年見てきたトップコンビの中でも一番身体能力が優れていると断言できます。そのコンビの作品を、何回観られるか・・・それなのに、わたしは事故で観劇が出来なくなった期間があり、一公演観られてないんです(泣)これだけでも慰謝料貰いたいくらいですよ。

で、私の観劇納めは雪組「蒼穹の昴」でキラッキラな朝美絢さんの春児、1月7日に星組公園で観劇始めの予定でしたがなんと中止に!

ここのところ、公演中止がなかったとはいえ、この感染症がなくなったわけではなく。冷や水を浴びせられたような気持ちになったわたしは、今回取れるだけのチケットを確保したのですが。

公演再開後、観劇始めはSS席。しかも前トップコンビと観劇かぶりという幸運なものでした。

お芝居は「ディミトリ〜曙光に散る紫の花」でした。

「礼真琴はヒーロー役者」と演出家の生田大和先生、「歌劇109年の歴史上、歌、ダンス、芝居・・・それらに秀でたスターは数あれど彼女程の高いスキルで三拍子の実力を持ち合わせたプレイヤーはいません」とショー演出家の齋藤吉正先生がプログラムに記していますが、まさにその通り。

「この人が舞台に立っている同じ時代に生まれた幸運」を感じたのは、ダンスの神様・大浦みずきさんを観た時でしたが、同じ感情が湧き上がったのが今回でした。

「ロミオとジュリエット」を観た日から、ずっとふたりの愛が胸に残っている気がしてならず、スレたバツイチ中年女性の人を恋うる心を思い出させてくれました。こんな気持ちになったのは本当に久しぶりでした。

「人が人を愛する姿は美しい」そう感じさせてくれる世界が、宝塚です。

今回の「ディミトリ」はジョージアの女王・ルスダンの幼なじみでルーム・セルジュークからの人質・ディミトリが、ルスダンの兄の夭逝によってその遺言でルスダンの王配(女王の配偶者)となり、モンゴル・ホラズムの侵攻により運命が動いていく、という物語でした。

前作で柳生十兵衛という男の中の男・ヒーローを演じた礼真琴さんは、今回人質の王子であり王配となった後は政治に関わることも制限された、名前さえもルスダンに名付けられたディミトリを演じました。

ディミトリはルスダンとの間に娘ももうけ、幸せに暮らしていましたがホラズムの侵攻により故国のルームから「ジョージアとの同盟を破棄する」と宣告され、臣下からルスダンとの離婚を進言されます。そこで父からホラズムのジャラルッディーンに和平の橋渡しを頼んだところをルスダンに見られて裏切りを疑われ、幽閉され、さらに臣下から敵にジョージアの内政を漏らされる心配を消すために暗殺されかけるという弱い立場。

ここまでではディミトリの主体性というものがあまり見えず、ただ「ルスダンを愛している」男、であります。モンゴルとの戦い・結婚式でのジョージアン・ダンスが見所でしたが、あまりカッコ良いところは出てきません。むしろ自分の存在意義、自分の居場所がルスダンのいるところとしかない、とてもよるべない立場。その苦悩を歌や繊細な優しい演技で表現されていますが、いまいち光るところはありません。礼さんは豪華な衣装がとてもよく似合い、文句なくカッコ良いのですが。しかし、彼はあくまで「ルスダンを愛した男」を貫いた時に、彼の存在は輝いたのです。

ルスダンに幽閉され、ホラズムのジャラルッディーン帝王に助けられ、側近のアン=ナサウィーに試すような視線を向けられつつも、ホラズムに与したディミトリ。

ホラズムの猛攻にもう後がないジョージアに、ジャラルッディーンとの結婚による和睦を勧める使者としてジョージアに現れたディミトリ。(鬼か・・・)ルスダンが徹底抗戦と答えると、あっさりと帰ろうとします。そこに「あなたの息子です、抱いてやってください」と赤ちゃんが・・・。ルスダン、詮索したり浮気したり戦争したり旦那逮捕したり出産したりとさすが女王だね・・・などと思っていたら、そこからディミトリの暗躍が始まります。

正直、ジャラルッディーンにルスダンの兄王・ギオルギと似た王者の器を見て安らぎを得ていたディミトリは、このまま流されていくのかと思ったところ、息子と愛するルスダンとタマラに再会したことでトビリシ奪還を目論んでいく。

ここから我らが有能な礼真琴・ディミトリ、ホラズムの情報を記した手紙を伝書鳩に託し放つ。そこも感心したのが、さすが我らが礼真琴演じるディミトリの伝書鳩はリュックを背負っているんですよ!足に着けるとかじゃないですよ?リュックですよ!さすが礼さんの使う鳩は違う・・・と非常に感心しました(そこ?)

そしてその手紙を信じたルスダンはトリビシを奪還するのですが「ジョージアの裏切り者がホラズムも裏切り、全てが終わった時にあなたの居場所はどこにあるの?」と歌うルスダンに「それはないですよ・・・」と思うわたし。

そもそも「ディミトリ」という名は、彼がジョージアに人質として来た時にキリスト教に改宗しそれ風にルスダンが名付けた名前でした。彼はジョージアに来てから、ルスダンが人生のすべてだったのに。「君は僕の光になった」って歌ってたでしょ・・・

ルスダンはディミトリの本当の孤独を分かっていなかった。彼女だけが彼の寄る辺であり居場所だった。そんな彼がルスダンを裏切るわけはないのだ。彼女には国も守ってくれる臣下も守るべき国民もあったけれど、ディミトリには彼女しかいなかったのに。

ディミトリはルスダンを子どものためにホラズムを裏切り、毒を飲んで自害します。その時、最後までディミトリを信じ、その弁明を訊こうとし、彼の立場と失ったもの、守りたかったものを理解して看取ったのがジャラルッディーンでした。

ジャラルッディーンはモンゴルに国を滅ぼされ、父は流浪ののちに逝去、妻子はモンゴルに殺されています。大切な家族と国を失う悲しみを、誰よりも知っていたジャラルッディーンが、ディミトリを本当に理解できた人だった。その人に「王配として生きた」と認めてもらえて、ディミトリはその感謝と行末を祈り息を引き取ります。この時、ルスダンと子どもたちのことに一切触れないのが印象深かったですね。

ルスダンも、アヴァクからディミトリの訃報を聞くのを遮ります。聞きたくないんでしょうね。認めたくない。幼い時から一緒に生きてきたディミトリが、本当にこの世にいないことを。

そして奪還したトビリシの王宮の、リラの花の下で、ルスダンはディミトリの足跡を見つけますが、そこにはただリラの花弁が散っているだけ・・・ディミトリの幻はルスダンには見えず、ただ「最期まで生き切ったら、よくやったと抱きしめて・・・」と呟き、女王として生きる道に再び戻るルスダン。

ディミトリはずっとリラの花の下でルスダンを待っているのでしょうか。

この作品には原作があり「斜陽の国のルスダン」という並木陽さんの本を読んでみますと、冒頭、ルスダンがディミトリが自害する際に飲んだ狐の手袋という毒を選んで、まさに自害しようとするところから始まります。ディミトリが生命にかえて奪還したトリビシも、ルスダンが命じて燃やしてきたことも。

原作にはないですが、ジャラルッディーンも殺されているのですよね。ナサウィーは彼の伝記を108巻も書いているのです(帝王強火担すぎないか)諸行無常・・・。

ディミトリが命を賭けてしたことは、ほんの一瞬の安寧を守ることだったかもしれません。人が命を賭けても出来ることって、そんなに大それたものではないんでしょうね。

人質として生きてきた青年が、その命をどう使ったか。

わたしの頭にしきりに浮かんだのは「命の使い道」という言葉でした。これは一昨年の月組公演「桜嵐記」で楠木正成の遺児・正行が言った言葉です。北朝に付くか、このまま南朝に仕えるか。自分の命をどう使うか。

ディミトリも、自分が使えるもの、たったひとつ持っているものを、愛する人のために使った。「勇気とは何か」という一文が、公演ポスターに添えられています。

「勇気とは何か」「何が出来るのか」ディミトリが歌います。

「自分が出来ることを勇気を持って命を使ってやっていく」こんな場面はこの現代日本においてなかなかあることではないかもしれません。

それでも、わたしは自分の大切な人のために、自分の出来ることを、その日1日1日、地味だけどやっていくことだと感じました。

最後にディミトリがリラの花の下で歌う素晴らしい歌の歌詞にある

「人は生まれる場所は選べない〜けれど人は生きる道を選びさだめ進んで行ける」という言葉。その中で愛する人と出会い、その人と進んで行けたら。

宝塚は「人が人を愛し、愛される姿」を見せてくれます。その美しさを見たくて、わたしは劇場に足を運びます。何度でも。

ディミトリ役の礼さんの自害の瞬間の無念と、理解された喜びの涙が美しく、最後のお歌も劇場いっぱいに響く歌声を堪能させていただきました。

相手役のルスダン・舞空瞳さんは抜群の美貌と少女の可愛らしさと女王としての強さを好演。今までとは違った力強い芯を感じました。

ジャラルッディーン・瀬央ゆりあさんは帝王の名に相応しく、銀橋からの登場から寛大さと恐ろしさを表現され、ディミトリの心を掴み、安らぎを与える王者の風格でした。

月組から組み替えになった副宰相・アヴァク暁千星さんは得意のダンスを確かな演技で三番手として確固たる演技を見せてくれ、女王の浮気相手となった奴隷ミヘイル・極美慎さんは「綺麗な人」というセリフに全く矛盾なく、ディミトリ一筋だった女王をよろめかせる美貌と一途さを短い出番ながらも印象強く演じていました。

わたしに今回深ーく刺さったのが、ジャラルッディーンの書記官アン=ナサウィーを演じた天華えまさんでした。ナサウィーは帝王・ジャラルッディーンを「我が君」と呼び、文官ですので勇ましい兵ではなく、「名文によって敵を降伏させましょう」と曰う。剣を持ち髭をたくわえた兵士とは違い、敵を短刀でいなし、しかし膝蹴りで一蹴する。ディミトリを暗殺しようとし帝王に斬られたジョージア兵の衣を足先でよけイスラム教に改宗することを拒み殉教するトリビシ市民を眉一つ動かさず眺めている。しかしディミトリがリュック鳩を飛ばすところを見て訝しげに立ち止まるも「憶測で物を言うのを好まない」と帝王に進言しない。その場面ではディミトリに明るく「こんばんは」と挨拶し、疑念を背中に表しながらも問いただすか一瞬の迷い、その機微をにじませる演技。

ディミトリ自害のシーンでは、トリビシ陥落の報に初めて声を荒げるが、内通を見逃してしまったかもしれない己の失策を正直に帝王に告げ恐縮する。ディミトリが服毒した際に現した驚愕と悲しみ。事切れた時に胸に手を当てて一礼する気品。常に帝王を見つめ、王にするために動く有能な書記官。作者の並木陽先生が「未来でジャラルッディーンを喪うことを内包したナサウィーで、その伝記がその後何百年も残ることまで内包した、つまり800年の愛を内包したナサウィー」と評した天華えまさんのナサウィーでした。本当に、ナサウィーが刺さりました。その物腰柔らかで冷徹でこれと思った人には情に厚い、強火担のナサウィーが。

「ディミトリ」が終幕し、休憩を挟んでショーが始まるのですが、そのショーも凄かったんですよ・・・。それはまた別の機会に。

星組の公演は、紅ゆずるさんの退団公演から観ているのですが、ひとりひとりの解析度が上がって、それぞれに個性豊かに成長した組子が素晴らしく、わたしにとって、もしかしたら一番良かった公演かもしれません。取れた公演すべて観ましたが、こんなに観たのは美弥さんの退団公演以来です。

礼真琴率いる星組、一公演でも多く観ていきたいと思います!

 

 

 

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車に跳ねられました!それから1年(と少し)

一昨年の秋、自転車に乗って青信号を横断中に左折してきた車(○ルファード)に跳ねられて、休職3ヶ月の後復職してから1年が経ちました。

あれほど酷かっためまいと、折れた左足首。今はめまいは横になって起きる際にふっとなることがありますが、ほぼなくなりました。

脚も可動域は右より少々狭いですが、日常生活に支障はないです。でも、寒くて冷えてしまったり、疲れてくるとふと痛いな・・・と思うと左足首ですね。時に湿布を貼ることもあります。

外見的には頭の傷も髪の毛に隠れて見えないし、事故前とは変わらないんだと思います。

だけど全く元通りになったわけではないし、この怪我が年齢を重ねた時にどう出てくるかはこれから分からないよなあ、とは思っています。

とはいえ!悲観的になっていても仕方ないし、元に戻るわけではない。だったら考えない。というか、この点に感情をフォーカスするのはやめています。

喉元過ぎれば・・・ではありますが、今はいつも痛いわけではない。上を向いただけでめまいでクラクラしてしまうわけでもない。あの時の痛みと苦しみから、回復できたから。

私を跳ねた人とは、事故直後に謝罪に来たいと何度も電話が来るので、姉が「今はそういう状態ではないので、以後は弁護士を通してください」とお伝えしたら、その後全く連絡はなくなりました。それっきり。彼は今、どうしてるんだろうな〜と思うことはあります。痛くも痒くもないだろうし、保険ですべて済んで、もう忘れているんだろうな〜と思ったりします。まあ同じことを繰り返さないといいよね、と。

わたしも半世紀を生きてきて、「考えても仕方ないことはもう考えない」と思考をストップする術を会得して、無用にイライラすることがなくなりました。事故についてもそうしています。

それも身体が完全ではなくても、日常生活が送れるくらいに回復したから言えることなんだと思います。

そして相手の保険会社から提示された慰謝料の金額に納得できず、良い弁護士の先生にお願い出来たこと。それも気持ちに収まりがついたというのも大きかったです。(何しろ保険会社の方に慰謝料額の少なさの根拠をお聞きしたところ、「休職中の給与保証で○十万お出ししていますし」って言われましたが、事故に遭ったから働けないわけで、それは当然ですよね?とイラッとしたことがありました。全体的に失礼でしたね、保険会社の方は)

事故に遭ったことは不運でしたが、その後のわたしはラッキーだったと思います。

「治って良かったな」本当にそう思います。

「歩けるようになって良かった」って。本当に、リハビリの先生のおかげです。

1年前に、痛くてつらくて不安で、治るかも分からず、もう元の生活に戻れないかもしれないというあの気持ち。真っ暗なトンネルの中にいたようでした。

それに比べたら、今は仕事も支障なく出来ているし、一人で歩いてどこへでも行ける。(車移動以外はヒールは履けませんが)

余談ですが、事故直後のつらい状態だった時「あれ?これと同じ状態、わたし前になったことあるぞ?」って思ったんですよ。よく思い出してみたら、出産後です。2日苦しんでやと明け方に産まれて、その後ヘロヘロだったこと。

わたしは高血圧症だったので、絶対安静で母子同室の病院だったのですが赤ちゃんは預かってもらえて、授乳も起きずに寝たままあげて、という状態で。光が目に入ると血圧が上がるので、出産時もサングラスをかけて出産したという。

「出産は全治2ヶ月の交通事故に遭ったようなもの」と言われますが、まさにソレです。そう思っていただいて正しいです。

ともあれ、今は元気になりました!支えてくれた家族と医療関係者の皆様、カバーしてくださった同僚のお陰です。

これからも何か体調に変化があったらこのブログに記録していこうと思いますが、これにて一件落着となります!感謝。

 

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「鎌倉殿の13人」最終回 「13人」ってそういう意味?!

観ました?2022年大河ドラマの最終回。

伊豆の一豪族の姉弟が、姉がある流人に恋をしたことから運命が転がり始め・・・兄の「武士の世をつくる、その頂点に北条が立つ」という兄の望みを弟が受け継ぎ、ここまで来た。

たくさんの魅力的な人物が出てきましたね。多彩な人物が織り成してきた一年、その終わりが今日でした。

私が記憶にある一番古い大河ドラマは「草燃える」でした。私の両親は、朝ドラと大河は観るタイプで、ずっと観続けてきた中でも近年の「平清盛」「真田丸」「女城主直虎」は瞬きするのも惜しいくらい、力を入れて観てきました。そして今作。

早鎌倉・本鎌倉を観終わって、私の耳から政子の慟哭が消えない。

本当に魅力的は政子でした。私の中で「平清盛」で猪を背負って現れた杏さん演ずる政子から、小池栄子さん政子はつながっていました。優しく強い政子。「私を明日に連れて行ってくれ」と流人だった頼朝に言わしめた政子。

政子、という名は、政子が官位を授かった際に父・時政の「政」の「子」として朝廷が表した時から表記されるようになったそうです。だから、本当の名前は不明。なんて呼ばれたかも分からなかった女性が、「尼将軍」として歴史を動かしたのです。

ずっと源氏三代の末路を史実として知ってはいたけれど、なんで?という思いが消えなかった。もちろん、大河ドラマはフィクションが織り混ざってはいますが、この大河で納得できた気がします。(もちろん御所を京に移す、先帝暗殺計画などは史実ではありませんが)

政子に今まで粛清してきた人物を数え上げる小四郎。「ここまでで13人」と聞いた時、「えっこれでタイトル回収なの!?」って驚きました。合議制の13人じゃなくて〜?13人じゃ効かないだろ?って感じですし・・・

そして仰天したのが「政子には病死って言ってた」ってこと。政子は薄々気づいてはいたけど・・・政子にしたら、我が子と孫が死んでる、それも弟が関わっていた。それがしれっと弟が言っちゃった。しかも弟は悪びれもせず「昔の話」「薬取って」などと言ってくる。

そしてあろうことに「私にはまだやることがある、先帝を始末しないと」とのたまう。そして「太郎のため、太郎と輝かせるため」と。

政子、苦しむ小四郎に渡さず薬を床にこぼし、しかもそれを拭き取りましたね。そして繰り返した「あなたがこれ以上手を汚さなくても、太郎はやれる」という言葉。加えて「賢い八重さんの子」と。私はここで号泣してしまいました。そして「あなたに似ている」と。

きのこ問題が誰のせいか、ということにも決着がついたこの回でしたが、小四郎の「早く言って欲しかった〜」と呟いたあの感じ、伊豆での小四郎に戻ってましたね。この時の小四郎に、泰時はよく似ているではないですか。

「なんとかしろ」「なんとかしなさい」と言い続けられてきた次男坊。その時々で最善と思える道を、ガチガチに縛られなかでも取り続けてきて至った修羅の道。上総介も、畠山殿も、和田殿も、殺したかった訳ではなかった。父だって、追放なんてしたくなかった、最期を看取りたかった。

一番嫌な役をやってきたんだよね、小四郎。

「お疲れ様、小四郎」姉はそう声をかけて労った。私たちは長く生きすぎた、もういいんだよ、ちゃんとやってくれる、あなたの息子は。だからもう、お疲れ様・・・

これ以上、罪なき子どもを殺めることに、政子は耐えられなかったんだろうなと思います。一幡を亡くし、公暁を亡くし、三寅を引き取って育てていた政子には。

政子も義時が亡くなって一年後に亡くなっています。

あれほど粛清に反対していた政子が、最後に弟に引導を渡した重み。奇しくも、のえさんの言う通り「お姉さんに看取ってもらえ」が本当になったのですよね・・・

私が小学生の頃、図書館で「日本の偉人」という学習漫画の本がありまして。日本の偉人と呼ばれる人、100人の生涯が漫画見開き2ページに掲載されているんです。それには女性は10人にも満たなかったのを憶えています。すごく驚いたんですよね。10人しかいないの?!って。確かはっきり憶えているのが紫式部、樋口一葉、津田梅子あたり。(おそらく清少納言や持統天皇もいたんだと思いますが、はっきり憶えていません。)その中には北条政子もいました。

幕府を開いた偉人の妻が、政子ほどに名を遺している人は稀でしょう。政子の恋によって始まった鎌倉幕府。なんてドラマチックなんでしょう・・・でも頼朝が急死し、その後は「死ぬ・どんどん」と称された通り、しかも政子の息子2人は死に、孫も死に。父親は流罪、妹の夫も息子も誅殺。ちょっと耐えられそうにもないですね、私だったら。しかもやっているのは自分の一族・弟たちという。

今回、宮沢りえさん、新垣結衣さん、鈴木京香さん演じる美しく強い女性が多々出演しましたが、なんと言っても小池栄子さんが白眉でした。

彼女の温かみのある母性を感じる優しさと、強い瞳で頼朝を想い、鎌倉を支えたその姿に、大江殿でなくても推せる!!と感じた人は多かったのではないでしょうか。

頼朝を諫める政子、小四郎を鼓舞する政子、檄を飛ばす政子、そして最後の小四郎に言葉をかける政子。

キュートで優しく強く、すべてを受け止めても善であろうとした政子。

「平清盛」の杏さんの政子を観て、ぜひ政子の大河を観たいと思ったのですが、今年の大河、本当に満足しました。

毎週日曜、「もう観たくない、でも観たい」と思う大河は初めてでした。

三谷幸喜さんという稀代の脚本家の、1年かけた政子と小四郎の物語。充分に堪能させていただきました!

「吾妻鏡」が愛読書だったという家康、MJ演じる「どうする家康」も楽しみにしています!

 

 

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マロニエ王国の7人の騎士

岩本ナオさんの「マロニエ王国の7人の騎士」が好きです。

今日!続刊の7巻が発売。早速読みました。あー…好き〜…この世界の住人になりたい…しかし謎は深まるばかり…。真剣に読んでいたら、子どもから「どんな話なの?」と聞かれました。

7つの国に囲まれたマロニエ王国。そこに女将軍バリパラの、少し変わった力を持つ7人の息子が、仲良く和やかに暮らしている。7人の夢は「お姫様をカッコよく助けること!」。平和なマロニエ王国だが、兄弟ひとりひとりが7つの国に使者として赴くことになる…その順番は、始めこそ長男の「ねむれない」からだったが、順不同。今の連載は末っ子はらぺこの物語。

あのですね〜単行本がですね〜約一年に一冊のペースなので、今年読めた私は6巻まで一気に読めて本当に幸せだった…「はらぺこ編」は2冊目。ねむくない、獣使い編が終わって7冊目。

大体、2.5冊に1人のペース?7人いるから、みんな終わって20巻くらいまでいく?そんなに読めるの?でもそしたら終わるの13年後?私いくつ?生きてる?(ガラスの仮面の結末を知らずに死ねない…)でもどこまでも、何回も読み返す本、きっとこれは…

この歳になって、思うんですよね。もう、新しいものはたくさんいらない。本や映画は繰り返し見て新たに発見したい。美味しいものも大層食べてきた。もう、たくさんは食べられない。暴飲暴食してあとでつらくなるから。

どぎついものは、もういい。

マロニエに出てくる男性は優しく、女性に無理強いをしない、基本的にみんなごきげん、穏やか、騎士だけど殺さない、などなど、観ていてほんに平和なんですよ…もうそれでいいよ…ていうか、それが良いよ…

騎士の物語だけど、血とか出てこないから!大丈夫‼︎闘うけど!

闘い、といえば、戦闘だけが闘いじゃないんだな…と感じるシーンもあります。とにかく、みんなが柔軟。考え方はもちろん、闘い方も外交も。

城代(城主代理?)は出てきますが、王様はまだ出てこないマロニエ王国。あれ?いないんだっけ?どうだったっけ?読み返してみねば…

さあまたマロニエ王国の住人になってこよう。私の推しは、ひとりには決められない…

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治療の終了〜だけど治ったわけではありません!

こんばんは。

車に跳ねられてから半年近く経ちました。受傷してからずっと治療を継続してきましたが、先月一応終了となりました。

治療終了、しかし治ったわけではありません。「症状固定」、つまり「これ以上治療しても良くなりません」というところまで来たので、終わりになったということです。

私の左足首はまだ痛むし、足首の太さも違いますし、今も正座がせいぜい3分くらいしか出来ません。高いヒールを履いて歩くことも出来ませんし、靴も買い換えました。

可動域も右脚の8割くらいですがもう元には戻りません。これは医師に言わせると「事故の怪我のせいではなく、ギプスで固定していたことによる拘縮」なのだそうです。

「事故の怪我」のせいでギプスを固定していたのに?

本当に納得いかないですが、仕方ありません。

治療の継続の有無は、医師が診断し、それによって保険が動くのですから。

後頭部の傷のあたりはボコボコしたままだし、めまいは毎日、朝起きるとまずぐるぐるしながらそれを我慢して動いている。もちろん足はこのままずっと、何かすると痛みが生じて、思うように動かせない。

本当に理不尽。

先日、事故に遭った交差点を通りました。

広く、見通しの良い交差点。スーパーに行く人、出て行く人がたくさん通っていた。ここを青信号になった時に渡っていて、私だけが跳ねられた。

本当に謎。こんな見通しが良い、他に人がたくさん通っていた横断歩道で私が跳ねられて半年経っても元に戻らず、こんな身体になってしまったのはなんでなのか?

何度考えても分からない。

元に戻らない身体、頭を打ったことによるこれからの不安。

おそらく、事故から全く変わらない生活をしているだろう、私を跳ねた人。

あれから全く連絡はありません。

今更謝罪も何もしてもらっても、私の身体もあのつらくて痛くて不安だった時間が消えるわけでもないし、逆恨みされても怖いですし、もう関わり合いたくない。

初秋だった季節も、もう桜も散りました。

半年。長く短かった半年。

本当に痛くてつらかった。

今、この身体の状態に慣れただけ。もう元には戻れないわけですから、それを受け入れただけです。

老化は、徐々にやってきて、動きが悪くなった身体を受け入れて慣れていくしかないんですが、事故によって痛めた身体が、私の人生の中でどうなっていくのか。

とても不安ですが、やっていくしかありません。

幸い、事故の前に合格していた昇進試験のおかげと、4月から増員があったため、身体の負担が少し軽くなりました。

身体のことを考えて配慮していくれた会社と同僚。支えてくれた家族。

本当に、私は周りの人に恵まれ、今の生活に戻ることが出来ています。

今も自転車に乗っているとひやっとする時があります。それでも事故にならずにこの二ヶ月過ごせています。

事故に遭わなかった、それはただラッキーだっただけ。

事故に遭ったのは、運が悪かっただけ。

でも死ななかった。こうして仕事に復帰できた。元の生活に戻れた。

さて、ここからです。また、これからです。

 

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「ウエストサイド・ストーリー」at 2022〜新作は重かった〜

先月末に、やっと「ウエストサイド・ストーリー」を観てきました!

子どもが言うところの「旧作」、つまり「ウエスト・サイド物語が人生の映画No.1」と思っている私。新作の感想を綴っていきたいと思います。

①みんな若いな・・・そしてガチでヤバいトニーとリフ

私が「ウエスト・サイド物語」を初めて観たのは今から35年ほど前、年末年始のテレビで夜中に放送されていたダンスシーンに衝撃を受けました。その時、ビデオ録画をしていて、何回も何回も観たのを思い出します。

「こんな映画があったなんて」

特にジョージ・チャキリスのベルナルドのカッコよさ。アニタのダンス。こんなに踊れる不良がいるか!というツッコミは置いておいて、その音楽とダンスの虜になりました。初めて買ってもらったCDはこの映画のサントラでした。

当然、キャストは当時の私より歳上の20代だったのでしょう。キャストは皆大人でした。

そして2022年の新作は、四十路の私より若い。むしろ息子・娘世代な訳でして。だから「幼い」と感じるのも無理ないんですが。

今回強く感じたのが「トニーとリフの絆」でした。

リフのヒリヒリした死に急いでいる感じ、中二っぽく感じてしまったのは私だけでしょうか?旧作のトニーは「昔はワルだったけど、今は働く好青年だよ!」という感じだったのですが、このトニー、「気を抜いたらまた落ちてしまう」という危うさがあって。そりゃガチの前科者ですから、危うさ満載でしょう。

「喧嘩で相手を半殺しにして出所したところ」のトニーは、リフの銃を奪おうとして、足場の悪い廃墟で争いになってます。(旧作で決闘後に荒ぶるジェット団を鎮める場面につかわれた「クール」はここに使われてます)結局、銃はリフから取り上げることは出来ませんが、それも仕方ない、リフの狂気に諦めさえ感じさせています。

また、トニーは決闘の場面でプロ・ボクサーであるベルナルドを滅多打ちにするところに狂気を滲ませます。「このままでは本当に殺してしまう」と気付いた感じが怖しかった。トニーのヤバさはガチです。

リフも「明日がない」感満載。旧作のちょっとぽっちゃりなリフとは全く違って、病んでます。明るく、頼りになるアニキ系の旧作リフでしたが、自分たちの街がいずれ開発で消失してしまうのは決まっていて、家庭にも居場所がないことに追い詰められて絶望している、いつ死んでもいい、なんならすぐにでもこの足場が崩れてしまえばいいとさえ思っているようなリフ。このリフが死んでも、「ああ」と納得してしまうだろう、危うさと脆さを持ったリフ。(これはトニーにも言えると思います)

周りを取り巻くジェット団も、最初の小競り合いでトラックに積んだ果物を路上に撒いてシャークの追跡を妨害するところなんか、周囲に迷惑をかけることも想像できない幼さ。死に向かっているのがありありと分かるリフに、恐れを感じながらも縋っている感じが痛々しい若者の群れに感じました。

「もっと豊かになるチャンスを逃した白人底辺」というクラプキ警部のセリフがありましたが、その中でもがき苦しんでいる若者の姿を容赦無く描いていたのが新作の様でした。

②シャーク団は働く青年団だった

対してシャーク団。ベルナルドは驚きのプロ・ボクサーという設定。そしてもっと驚いたのがチノ。資格を取るために学校に通っている、しかもシャーク団の一員ではない、ベルナルドの友人である。メガネをかけた、ずんぐりとした真面目な若者であったこと。そして皆、仕事に就いている様子。要は「まともなリーダーのもと、移民であるという弱みのために若者が結成した自警団のようなもの」がシャーク団、という印象。

アニータはお針子を雇って仕事をするほどだし、マリアも夜間の清掃の仕事に就いている。この辺、アップデートされている感じがある。

ダンスパーティーの後にビルの屋上で踊った「アメリカ」は、昼間の街路に躍り出た明るいものになっている。

旧作では白人移民であるジェット団の方が強みがあったと思ったが、新作では上手くアメリカ社会に順応しているシャーク団の方がずっとまともでしぶとい感じがありました。

④人種の坩堝・ニューヨーク

「人種のるつぼ」という言葉は、私が中学の時の社会の教科書に載っていた言葉です。新作の中にも黒人の姿もありましたね。ポーランド系、ドイツ系、プエルトリコ系。映画には出てこなくても中国系、日系、シンガポール系など、アジア系の人々もたくさんいたのでしょう。

まさに大挙して移民が押し寄せていたニューヨークは人種の坩堝。今のアメリカ社会にも根強く残っている人種差別。決して消えはしない問題でもあります。そしてこの映画のテーマでもあります。

これについて、上手く語れる言葉がありません。

「プエルトリコ系の女をモノにしてやろうと思ってるんだろう?」というベルナルドの言葉。白人はそれ以外の人種を下に見ている。差別され続けてきたからこそ出てくる言葉です。トニーとマリアの恋が成就するなんて、当時はありえないことだった。

ほんの一握りだけど、人種が違っても結ばれる人たちがいた。ドクたちがいた。だからこそ、トニーはマリアと一緒に生きていけるかもしれないと思った。

1年前になりますが、私は宝塚歌劇で「ロミオとジュリエット」を観ました。言わずと知れた、シェイクスピア原作であり、ウエストサイドの元になった戯曲です。

ロミオはトニー、ジュリエットはマリア、ティボルトがベルナルド、ヴェンボーリオがリフ、マキューシオがアイスマン、乳母がアニータ、ドクが牧師に当たる配役。

ヴェローナという街で長年憎しみ合ってきた両家の一人息子・一人娘が恋に落ちるも、行き違いから若い二人は命を落とし、その犠牲によって両家が和解しようやく平和が訪れる、という物語。

若い、眩しいふたりが命を落とす様は本当に愚かで無惨です。「生まれて初めて口にするのが憎しみ」であるほど、両家の大人は憎悪を子どもに植え付けます。憎しみの連鎖は断ち切られることなく続き、ここまでしないと分からない愚かな大人に「神は罰を下された」というセリフがありました。もし、報告・連絡・相談ができて、ふたりが追放になったとしても生きて両家を結びつけることができたらこの上なく幸せで平和であっただろうと思います。でもそうならないのが芸術・文学です。

ウエストサイド・ストーリーも然り。

ウエストサイドの根底に流れるのは「人種差別」です。これは現代になっても変わらない。「一緒の街に住むんだから、仲良くしようや」とはならないのが人間なのでしょう。この憎悪が人を蝕んでいく。スピルバーグはそこを深く抉ってきた気がします。

③性犯罪に対する描写

とても印象的だったのが、マリアの伝言を伝えに来たアニータを、ジェット団がレイプしようとした場面。

リフの恋人のグラジエラが危険を察知してアニータに帰るように言うも、女性たちは締め出されてしまう。グラジエラはガラスを叩いてアニータを助けようとする。

旧作ではその場から立ち去らず、眺めていたグラジエラでしたが、危機感を持って同じ女性であるアニータを助けようとしていました。

そしてはっきりとバレンティーナは「レイピスト」と男たちを非難している。

旧作を初めて観た時はこれが性犯罪だとはよく分かりませんでしたが、涙を流して男たちを憎々しげに罵り「マリアは死んだ」と嘘を伝えるアニータの表情を見て、これは大変なことをされたのだと感じました。

新作では明らかにジェット団はアニータをレイプしようとしていたという描写がされていて、それに対しての女性の姿勢がはっきり描かれていたのが印象的であり、希望でした。

「アメリカ」で「私はアメリカ人よ」と歌っていたアニータが、「私はプエルトリカンよ!」と叫ぶほど、打ち砕かれてしまった彼女の心が表れていたのが悲しくやりきれませんでした。

男性の庇護を失った(ベルナルドの死によって)女性は犯しても良い、女は黙っていろ、という女性差別の表れでもあったのが、ドクの店のシーンでもありました。

④総評として

「人生で一番繰り返し観た映画」であるウエスト・サイド物語ですので、作中の音楽の歌詞全て憶えていて、自分でも驚きました。バーンスタインの音楽はやはり素晴らしい。そしてジェローム・ロビンスの振り付けも。

ダンスシーンは旧作を超えなかったです、私の中では。やはりリタ・モレノとジョージ・チャキリスが良すぎた。黒いスーツに紫の裏地のベルナルドと、幾重にも重なった紫のパニエがついたドレスのアニータのカップルのカッコ良さ。(「マンボ!」のシーンはビシッとキメて欲しかったなあ!)

ふわっとしてますが、旧作の方がバレエなどのダンスの基礎をしっかりやったダンサーが多かったのではないかな?

歌は新作も良かったです。ヒロイン・マリアは旧作は吹き替えでしたが、新作は力強い歌声。眉毛もしっかりしていて、リアリティを感じました。

トニーに関しては、元々、私は旧作からトニーという人物に魅力を感じていないのが今回はっきり分かりまして。そして、トニー役の俳優の性犯罪の告発もあり、新作でもトニーに対して魅力を感じなかった、ビジュアルもあまり好きなタイプでなかったので、大きくマイナスではありました。

前科もあるし、これじゃお兄ちゃんが許すわけないじゃん・・・無理筋でしょう、二人が結ばれるのは・・・。ここまでハードルを上げてしまったのはなんでなんでしょうかね、スピルバーグ氏。

チノの造型は良かったです。インテリのベルナルドの友人として描いたことで、ベルナルドに対する復讐の方に重きが置かれていて、納得しました。逮捕された彼の今後を憂いてしまいましたよ・・・。

トニーとリフの絆が強すぎて、これまたふたりが死んでしまうのも納得という感じですが、リフはグラジエラよりトニーが好きだよね?リフのトニーに対するクソデカ感情が重い・・・

トニーとマリアでは、トニーの方が浮かれていて、マリアは兄への反発からトニーに傾斜して行っている感が強い。

ラストでトニーの遺体を運ぶのを手伝うシャークの若者の描写で、人種の壁を乗り越えて希望が見えた旧作でしたが、新作では「これで和解できないだろ・・・」と重いものを感じました。単なる「人種の違いからくる争い」だけでなく、精神的な病や家庭問題まで踏み込んだ描写は、簡単に救いの光を見せてはくれませんでした。(クラプキ警部の歌は旧作でも出ていましたが何故か明るく、彼らはヤクもやっていない)

旧作との一番の違いは「リフが病んでる」ことだったのかもしれません。

人種差別、女性差別、性差別、家父長制、性犯罪などいろいろなものを盛り込んだ新作「ウエストサイド・ストーリー」。現代の価値観にアップデートされている新しいミュージカル映画になっています。

大昔の中学生だった私に刺さったように、若い人たちに刺さってくれたらいいなと思います。

最後にリタ・モレノについて。

旧作で魅力的なアニータでオスカーを受賞した彼女が、新作でもなんと90歳で出演しています。素晴らしいですね。

https://www.cinematoday.jp/news/N0128418

(日本でも小泉八雲に扮したドラマに出演されていたジョージ・チャキリスはご存命のようです。マリア役のナタリー・ウッドは事故死されています。キャストの多くは鬼籍に入っておられるようです)

https://natalie.mu/stage/news/344730

3年前の記事ですが、若いですね!

旧作・ウエストサイド物語でのキャストの輝きは、今も色褪せることなく私の心の中にあり続けています。一緒に見た子どもの心にも残っていると良いなと思います。

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忘却は罪と言うけれど〜認知症ということ

姉の義父が亡くなって、しばらく経ちました。

葬儀の前に、久々に姉宅を訪問したところ、義母は眠っていました。

しばらくして起きてきて、私の顔を見るなり「お父さん、死んじゃった」と言って泣き出す姿に、私も涙が出ました。

でもすぐに昼食が出てくると、忘れてしまったように一心不乱に食事を食べる義母の姿を見て、とても処理できない感情を覚えました。

姉は「食べて忘れよう・・・」と言っていて、それを聞いているのかいないのか、義母はその時は確かに夫を亡くしたことを忘れているようでした。

そして食べ終わり、しばらくすると「お父さんが死んじゃった、寂しい」としくしくと泣き始めるのでした。

姉によると夜中になると「お父さん、どこに行ったか知らない?探してるのにどこにもいないの」とドアをノックしてくるそうで、流石に息子である義兄は精神的に参ってきてしまったようでした。

義兄にしたら、自分も父親を亡くして悲しんでいるのに、母親が何度も「お父さんいないんだけど」と聞いてきて、その度に「死んだんだよ」と告げ、それを聞いて泣き出す母親の姿をそのたびに見ることになるわけです。

それはつらいだろうな・・・と思います。

義兄は「ずっと憶えていて悲しみに浸っているわけではないから、逆に認知症で良かったのかもしれない」と言っていました。

「朝日の中でみんなで見送ったじゃない」と言うと、「朝日が当たって眩しかったことは憶えている」と言うそうです。でも、お父さんが亡くなったことは忘れてしまう。

でも55年もずっと一緒にいた人が、ある日を境にいなくなってしまう。

それを信じがたい、信じられない、信じたくない、と思うのは自然なことかもしれません。

義母はお休みしていたディサービスを再開して、そこで会う人たちに「お父さん、亡くなったのよ」と言うとみんなすごく驚く、毎回帰宅して話してくれるそうです。

もしかしたら、義父が亡くなったことを話しても、周りの利用者さんもそのことを忘れてしまって毎回驚いてくれているのかもしれません。

今日の「となりのチカラ」では、認知症になったおばあちゃんの徘徊が頻回になってきて、ついに施設入所する場面がありました。

迎えの車に乗る前に、ふっと昔のおばあちゃんに戻って「ハグして頂戴」というおばあちゃん。その後、孫のことが分からなくなってしまうけれど「孫をよろしくお願いね」とチカラに頼むおばあちゃん。

本当に切ない。

医学の進歩で人間の身体の方は長く生きられるようになったけれど、脳の方は本来の寿命のままなんだろうな、と私は思います。

身体の耐用年数と、脳の耐用年数が釣り合わなくなっている。その結果が認知症なのでしょうか。

「忘却は罪」という古い映画の惹句がありましたが、つらいことを忘れ去ることができる認知症という病は、人間に取っては優しい効用もあるのかもしれません。

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親の看取り〜誰でもいつかはこの星にさよならをする時がくるけれど

こんばんは。

これは私の実家の庭です。

両親が生きている時の、手入れされた庭です。池があって、魚が泳ぎ、花が咲いています。

でもこの家は、今は空き家になっています。庭も手入れをされていず、きっと今は草が生い茂っていることでしょう。

私の両親は、自分の亡き後のことを全く考えず逝きました。そのため、今、きょうだいで少しずつ片付けています。弟はリモートワークなので、一人でしばらく滞在し、仕事しつつ、大量のゴミを捨てたとのこと。それでもまだ、全体の3割でしょうか・・・。

さて、私の姉の義両親は、3年半前から夫婦二人で暮らしていた家から、姉夫婦に引き取られて同居しています。

突然市役所から電話が来て、姉夫婦はその日のうちに両親を自宅に引き取って帰ってきました。

空き家になったその家は、その1年後くらいに業者もいれて片付け、売却しました。

姉夫婦は本当に大変な思いをして実家を処分したのだけど、出来て幸いでした。

姉の義両親は、ほっとしていたようです。後顧の憂いがなくなった、と。

そして、義父は食が細くなり、寝てしまうことが多くなってきた先月末に、義父の8歳下の弟さんが突然亡くなったと連絡が来たのです。

親代わりに面倒みてきた弟さんが急逝したことが、お義父さんにはとてもショックだったらしく、真夜中に妹さんに電話してしまったりしていたのですが、お通夜の日には忘れてしまって寝込んでしまい、行かなかったそうです。

それから眠り込む日と、冴えて喋り通して眠らない日が交互にきてから少し経ったころ、歩けなくなってしまったのです。それからほとんど眠っていて、食事も摂ることがなくなり、先日亡くなりました。

度々様子を見に行っていた私が声をかけた時、お義父さんは起きて宙を見ていました。

そして突然、「頑張る・・・」と言ったのです。

「この家にたたりなんてないよ、これからは、良いことばっかりだよ」

「人は許し合わなきゃならない。自分が許せば、相手も許してくれる」

「言葉は難しい。誤解を生む。だから気をつけなきゃならない」

など、誰に言うこともなく話していました。私は相槌を打ちながら涙が出てきました。

お義父さんは、今までの人生で感じたこと、考えてきたことを話している。人生のその時のことを思い出して話してくれてる。そしていつも「頑張って」人生を動かしてきた人なんだなあ、と。

お義父さんの人生の旅は、もうすぐ終わる。

そう思った時、「いのちの歌」を思い出しました。

「誰もがいつかはこの星にさよならをする時が来るけれど 命は続いていく」

そう、命は続いていくんだな、と。

姉にはひとり娘がいます。今年、大学生。

お義父さんが頑張ってきた人生の先に、孫がいるんだよ。

その2日後、私が伺った時は、お義父さんは目を覚ましませんでした。

そして次の日の朝、家族に囲まれて、手を握られて、声をかけられながら、人生を終えました。

本当に、お疲れ様でした。見事な人生でした。

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ドラマ「津田梅子〜お札になった留学生〜」明治を闘った留学生たち

テレビ朝日のスペシャルドラマ「津田梅子〜お札になった留学生〜」

https://www.tv-asahi.co.jp/tsudaumeko/

広瀬すずさん、池田エライザさんが出演されるとのこと。

https://amzn.to/3KisNKD

「SUNNY 強い気持ち強い愛」で池田エライザさんを知って注目していたので、広瀬すずさんとの共演、「ひよっこ」で強い印象を残した佐久間由依さん、「鎌倉殿の13人」にも出演中の宮澤エマさんも留学生仲間として出演されるとのこと、ぜひ観ねば!と思ってチャンネルを合わせました。

7歳の女の子が11年も一度も帰国することなく異国に留学する。それを子役の皆さんが演じる姿を見ると、胸に迫るものがありますね。こんな小さな女の子が、お国のために親元から離れて使命を果たすためにアメリカに渡る。すごいことをしたなあ、当時の日本。

しかし帰国した留学生たちには活躍の場は与えられず、女性の学校を作るという役割を果たすことが出来ず、結婚する者、小さいけれども塾を開いく者、それぞれの道を行くことになる。

「ここは日本だ」「お前は俺の言う通りにしていればいいんだ!」「男なら良い仕事があるんですがね」・・・浴びせられる言葉が、今とそれほど変わっていないのは気のせいでしょうか?

アメリカで男女が対等な立場で生きることを常識として育ってきた留学生達には受け入れ難い日本の現実。

そんな中で美しく華やかで「結婚なんてするものですか」と断言していた捨松は、大山巌と結婚し、男の力を利用することを決意する。打算的な結婚ではあったようだが、ドラマでは愛情持って嫁いだように描かれていた。

大山巌に帯同して欧州視察に行くと思われていた捨松が、日本に留まることを選んだのは、妊娠したからであった。「愛する人の子どもよ」と言う捨松を、梅子と繁は彼女を抱きしめる。

ああ、妊娠するのは女性。女性のみが妊娠する性であるかぎり、それにとらわれてしまう・・・。それは捨松のような女性でさえも、ままならないのだ。

留学の途中で帰国した亮は、その後塾を開くがコレラでなくなってしまう。宮澤エマさんの儚げな美しさが印象的な亮でした。

印象深かったのが梅子の父。梅子の父は進歩的な考えて梅子を留学させたのだが、妻には男尊女卑の接し方をやめようとしない。梅子が留学から帰ってきて、梅子には当初お酌をさせないなど、妻とは扱いを変えていたのだが、次第に梅子の行動を制限し始める。

伊藤博文の妻女の家庭教師に梅子が斡旋されたが、住み込みが条件であったために反対し、梅子にもそれを告げない。「住み込みなんて、その家の主人が手を付けることもあるんだ!」と言う。そして「お前は俺の言う通りにしていればいいんだ!」と言い放つ。

この言葉、まったく同じ言葉を言った人のことを思い出しました。

私が結婚していた頃、義父が義母に言ったのです。

その時、私はそれを聞いてゾッとしました。義母は黙っていました。その時は私たち息子夫婦が来訪していた時で、他人という私がいたのにも関わらず、そんな言葉をいう義父に、信じられない想いを抱きました。

その後、夫にあんなこと言ってたね、と話したら「どうせお袋が逆らうようなこと言ったんだろ」という返事が返ってきたので、仰天しました。

まあこの父にしてその子あり、で私はその後夫と離婚しました。

「お前は俺の言う通りにしていればいいんだ」・・・奇しくもこのドラマで繰り返された言葉。これって明治の話ですよね?変わってないんだよなあ・・・と感じました。

それに対して梅子は「私は結婚しない」と断言するのです。そしてその言葉通り、梅子は生涯独身を貫きます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/津田梅子

ドラマは梅子が留学したところで一気に亡くなるところまで飛んで終わりましたが、帰国して津田塾大学を設立したことは言わずと知れた事ですね。

ドラマの中で、授業中生徒を激詰めする梅子の姿が描かれますが、なかなか激しい人だったようですね。

https://news.yahoo.co.jp/articles/50954c9d3c7f64e516d70e8eb597e0de71c4e605

彼女たちが闘ってくれたから、今がある。

昼間、偶然見たNHKの番組の合間の数分、ジェンダーについて二人の女子高生が話す映像を観ました。その中で「シャチは閉経後のメスが群れを率いる」「シャチ最高」なんて言ってましたが「国会議員の女性の占める割合は、当初の8%から10%、そんなに変わっていない」とありました。

梅子たちが生きた明治と現代では、女性の扱いや地位はそんなに劇的に変化したわけではないのでは・・・と感じました。

NHKの映像の終わりの方で「でも女は総理大臣になれないよね」「そう思うことが一番の問題」と二人の女子高生は語っていました。

ドイツではメルケル首相が長く政権をとっていたため、男の子が「男でも首相になれるの?」と聞いたとか。

変えていけば、変わって行くものなのかもしれませんね。

女だって人間です!

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